「ねえねえ、君、少し疲れてるようだね。東方って知ってる? あれやると凄い気分が良いし、こんな現実どうでも良くなるよ。みんなやってるんだ。え、お金だって? いらないよ。すぐに出来るから、試しにやってごらん? 怖くないって。お兄さんもやってるし、大学生とかも多いんだ」
STGはゼビウスの時代で認識が止まってるから出来る気がしないんだよなぁ……
「えっ、ゼビウスって何?」
……ということは本日15時頃メロンブックス秋葉原1号店で行われた会話の一端である。筆者はあまりの衝撃に1歳しか年齢差の無い筈の氏に対し著しいジェネレーションギャップを感じずには居られなかったのである。そうか、最近のナウいヤングはゼビウスを知らないのか。
思えば小生が子供の頃にやりまくったゲームはどれもこれも(当時から見ても)相応に古い代物であったような記憶がなくもない。何せディグダグ*1、ゼビウス*2、パックランド*3、フリッキー*4、ペンゴ*5、エレベーターアクション*6、テトリス*7をやりまくっていたのだからそれはもうゲームの評価基準の狂ってる奴が生まれるわけである。ちなみに、これは非常に恣意的なチョイスであり、電車でGO!2高速編*8やA列車で行こう4*9などの比較的最近のゲームもきちんとプレイしていたことをここに強く主張していきたい。
しかし、これはあくまで当時主流だったアーケードゲームのPCへの移植版がたまたま親の世代にクリティカルヒットしそれをプレイしまくったが故に起こったことであり、恐らく全宇宙のどこでも見られたごくごく一般的な光景であることは想像に難くないわけである。即ち、20代でSTGの概念がゼビウスで止まっていることは全く何の疑問もないことであり、不思議でないことであると言えるのである。
読者諸兄の皆々様にもそういう経験は無いだろうか。筆者はあると信じてやまないのであるが、世間のメンシェヴィキたる生まれの過ち人民としては、この期待を鮮やかに裏切られる可能性を否定し得ないものでもあるのだ。