旭駅本屋

SNSが普及しきった今日において、人々はなぜブログを使うのであろうか。

Q.叩くと伸びるものってなーんだ?

A.ちんこ!

(ふせいかいのおと)

 

 

 

 

 ……えー、読者諸兄の皆々様には開幕早々低劣なネタを目にさせることになり誠に申し訳ありません。こういうネタはこういうところ*1とかがやるべきであって、弊ブログで扱うのは誠に苦手な部類であるわけであります。

 そもそもですよ、陰茎は兎も角として陰嚢を叩かれたら伸びるまでもなく縮むのが睾丸というものであると思うわけでありまして、ただただ伸びるという海綿体の作用だけを持ってしてこのような回答を行うのは安直過ぎるとも思うわけですよ。

 

 しかしこれを真っ当に答えようとしてもですね、非常に安直かつつまらない答えになってしまうわけです。

 読者諸兄においても中高の教科書などで読んだことがあろうかと思います。そう、叩くと伸びるものというのは他でもない金属のことであります。とはいえ、金属の性質の一つとして展延性があり、他の物質には無い特有のものかと言われると微妙なので答えを一つに絞るのも微妙ではあるのですが、ここは論展開を行う上で都合がいいので回答を金属であると強引に仮定しましょう。

 

 工作やら芸術やら、はたまた大学教育や職務などで金属に触れたことのある方はおわかりいただけるかと思いますが、金属の展延性は限界があります。ペンチもニッパも手元に無いからと言って針金を折り曲げまくって金属疲労で破断させようと試みたことがあるのは筆者だけではないはずです。中々破断しないので結局ペンチを持ってきて切るまでセットでやったことがあるはずです。なぜなら筆者もよくやっていたからです。

 他にも、銅板レリーフを作る際に変に叩くと形が微妙になったり、叩きすぎて穴を開けたりした人も多いはずです。筆者はこれで痛い経験をしました。銅板の隅で指を切るマジで痛い経験もしましたが、それ以上に叩きすぎて変になった箇所を後ろから叩き直して更に変になるという無限の悪循環で辛酸を嘗めさせられたものです。

 叩けば伸びるだろうとたかをくくって金属を扱うとろくな目にあいません。思い通りに伸ばすには、ちゃんとした技量と力量が必要とされるわけです。

 

 

 さて、長い長い導入もここら辺で仕舞にしましょう。

 皆様、「叩いて伸ばす」という言葉に聞き覚えはありませんか?きっとあると思います。方方でまことしやかに囁かれるこのような耳障りの良い言葉を聞くにつけ、筆者は「コイツはひょっとしなくてもアホなんじゃないか?」と思ってしまうわけであります。そう、察しの良い読者諸兄はもうおわかりでしょう。本記事の題目にして本論、それは、部下或いは後輩への対応です。

 最近のナウいヤングはあまり言うことは無くなりましたが、50代を超えると「叩いて伸ばす」なんて言葉が平気で出てくるようになります。「バカ、アホ、マヌケはI love youだ」なんて飲み会の席でのたまう阿呆も見受けられるくらいです。しかし、叩いて伸ばすなどと言う上司ほど上手に人を伸ばせないものです。それはなぜか。

 

 ただ叩いているだけだからです。

 

 そもそも、金属でさえ叩けば伸びるわけではなく、変形するだけであり、自分の望んだ形に伸ばすには相応の技術力を要求されるわけです。技術も碌に無いのに上がそうやってたからと猿真似のように部下を人格否定レベルで叩くだけの上司、いると思います。超個人的な感覚ですが50~60代くらいに多い気がします。自分はこの手の上司に精神をすり潰されました。許さねぇぞあのクソ上司。

 では叩いても人間は伸びないのか、というとそうでもないわけであります。超個人的な感覚ですが、70代くらいは叩いて伸ばす最盛期世代なだけあって人の叩き方を存分に心得ている人が多い気がします。その叩き方というのは、必ずどこかしら褒めるということであります。褒めてからけなす、良い方向に向かうよう誘導する人、けなしてから褒めて相殺しに掛かる人、どちらとも居ますがどちらも褒めるのが非常に上手です。叩くのはむしろ褒める時の照れ隠しなのではないかとも思うくらいであります。しかしこれが「叩いて伸ばす」という断片的な情報のみ下に引き継がれた結果、ただただ否定しかしない上司が量産されてしまったのであります。悲しいものです。

 叩けば伸びるだろうとたかをくくって人間を扱うとろくな目にあいません。思い通りに伸ばすには、ちゃんとした技量と力量が必要とされるわけです。人を叩いて伸ばすことと、人格否定レベルで人を叩くことは似て非なる行為であるということを、今の上司世代には心に留めて欲しいものであります。

 加えて、これから上司になるやもしれない未来のある若人達も先人がああだったからとクソな面を受け継ぐこと無く、ほめ上手なほめ太郎になってくれればと思うものであります。

 

 

 最後になりますが、この叩いて最後に褒めるというのは新興宗教でよく用いられている手法であり、洗脳の一手段でもあったりします。