旭駅本屋

SNSが普及しきった今日において、人々はなぜブログを使うのであろうか。

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食うのに痩せてるオタクコミュ障説

 というのをここ数日間練りに練った結果がこの記事である。まず着想に至った経緯について振り返ってみたい。大体この記事*1の中にあるのるるんクリニックで体組成計に載った後、私はただただ思案に暮れていたのである。幾ら最近金がないからとケチって一食半合にしているとはいえ、流石に炭水化物大好きマンの体脂肪率が4.4%で良いのだろうか。これが運動をしていれば別ではあるがそもそも筆者は出不精でありかつオタクらしく大した運動らしい運動などはしていない。せいぜい街に出たら万歩計がニ万一寸を指すくらいの程度の運動しかしていないのである。こうなると運動以外でカロリーを消費している可能性について検討するのが筋だろう。そこでふとひらめいたのである。

 このカロリーは脳が殆ど食い尽くしているのではないかと。

 読者も経験があると思う。一日中勉強詰めだと無性に腹が減って仕方がないということを。つまるところ、脳を活発に活動させるとエネルギーを大量に消費するのである。ゆえに、脳を酷使すれば運動をすること無く大量のカロリーを浪費することが出来るのだ。

 ところで、読者諸兄はコミュニケーションに対してどのくらい頭を使うだろうか。筆者はこの先話す内容の咀嚼と反芻と自己批判と今まで話したことの咀嚼と反省と自己批判を同時にこなしているような感を覚えるくらいには頭を活発に運動させながらコミュニケーションに明け暮れている用に思うのである。然し市井のコミュ強人民はどうであろう。自分の考えに絶対的自信を持ち、それは違うだろう、こうだろうと説教をするかのごとく語る奴は多いように見受けられる。加えて過去の発言に対する反芻というものもあまりしていないように思うものがある。会話をノリと勢いと感情なる謎の情動で行っている節があるためである。この感情を用いて会話を行うというものが非常に厄介なのであって、どうにも感情というものは脳の中でもカロリーを特に消費すること無く生起させることが出来るものであるように思うのである。そこら辺は高尚な先生方が既に侃々諤々の議論を行っていることであろうから学のない筆者は学術的領域に踏み込むことなくサラッとふわっと雰囲気で流していきたいと思う。ここは場末のブログである。学術的根拠に立脚しない下らないことを書いてもお咎めはないだろう。

 とかく、感情というものに立脚し行動を行うだけであれば非常に脳に対しての負荷は少なく生きていけるのである。しかしこれが感情をセーブないしは感情をエミュレートして生きている場合はどうであろうか。恐らく大脳新皮質に凄まじいレベルの負荷が掛かることであろう。常時これをやりっぱなしにしている人間は、カロリーの消費量は著しくならざるを得ないであろう。

 さて、筆者は前回記事*2でコミュ障は感情の共有方法が会話や表情ではない可能性を提唱した。つまるところ、会話や表情においてある一定程度の感情なり何なりを持たせる場合は脳で一般的なコミュ強人民の応答をエミュレートして実行している可能性があるわけである。そしてこれは本項で触れている諸問題と合致するものでもあるのである。

 つまるところ、よく食うのに痩せてるオタクというのは、本質的なコミュ障であり、生まれの過ちである可能性が高いのではないかと思うものである。