旭駅本屋

SNSが普及しきった今日において、人々はなぜブログを使うのであろうか。

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生まれの過ちと求職闘争

 求職闘争が終わり内定を賜った皆様、おめでとうございます。地獄の始まりはこれからだ。求職闘争を続けている皆々様、捨てる神あれば拾う神ありです。わりとどうにかなります。自分は特に何もしてなかったのに昔取った杵柄で全てを成し遂げました。なお末路。

 皆様、経験は裏切りません。自分を信じましょう。なんだかんだでどうにか落ち着くものです。余談ですが落ち着いた先で落ち着けるかは別問題です。

 さて、求職闘争といえば求職イベントですね(唐突な導入)。よくリク◯ビとかマイ◯ビとかウィズ◯ビとかが上手いこといい感じにナビゲートしてくれると見せかけてカネをむしり取ろうとしてくるのであります。くらすぞ。連中は大手企業は客寄せパンダとして廉価で、中小からは足元を見て暴利を貪るアコギな商売で利鞘を上げるのであります。そんなイベンターの手のひらで踊りに踊らされ大手企業をはしごするのが就活イベの定石であろうかと思われますが、実を言いますと自分がいちばん印象に残っているのは大学生協主催の中小企業限定就活イベだったりするのであります。会場が定期券内だったこと、秋葉原なんでふっと寄って飽きたら他のところに行けばいいという抵抗値の少なさからあまり気乗りしなかった中で参加をしたものの、中小の癖の強さとそれが許される中小という世界の強さをまざまざと見せつけられたのでありました。客の入りも疎らだったということもあり、興味がなくてもふらりと立ち寄り話を聞くだなんてのもワリと許される感じであり、非常に距離感の近いイベントであったことを記憶しております。中でも一番興味を持ったのが中堅自動車部品メーカーの社員さんの話でありました。元々この人は大手自動車メーカに勤務していたものの転職をし、中小である現職に転職したという経歴でありました。当時私はその経歴を疑問に思ったものです。なんで安定している大手企業から中小へと転職したのか、最後にそのことについて質問したものです。返答はこうでした。

 「やってるのが海外のメーカーからくる部品の検品で、いくら品質が悪くても検品で弾けば品質に問題がなくなるんですよね。日本のメーカーがいくら良いものを作ったところで評価されない。そんな状況がもやしていたので、ここに入ったんです」

 当時はこの言葉の意味はよくわからなかったものです。ただ、常に引っかかるところはありました。それが今になってやっと少しばかりその感情がわからなくもなくなってきたのであります。このことはつまるところ技術職として働くとは何か、というところに収斂するのではないかと思うのであります。

 大手事業者に於いて、技術職というのは手っ取り早く言うと元請けである自社の任意の部門と下請け事業者との橋渡し役になるのであります。つまり技術を活かす部分はほぼ皆無なのであります。なんせ技術は勝手に下請けが学んで取り入れて活かしてくれるので、自ら主体的に学ぶ必要が無いのです。学ぶべきなのは閾値と検品のスキル。それだけなのです。この辺で技術職ってなんなんだろうと思うようになることでしょう。実際なります。下請けはなんとかして買ってもらおうとあれこれ新機軸やら何やら日夜研究勉学を続けているというのに、元請けは勉強も研究も(やってるところはやってるものの)そっちのけでただただ検品するだけで終わるのであります。技術者ってなんだったんだろう。俺がやりたかったのはこんなことだったんだろうか。そういう閉塞感が生まれてくるものであります。周囲の社員もその状況に違和感を抱くどころか安定しているその状況に慣れきってしまい、誰も疑問に思わないのであります。そうなると愈々もやもやするしかない状況になるのであります。

 私はその結果が彼が大手自動車メーカーから中堅部品メーカーへ転職するきっかけとなったのではないかと思うものであります。何故そう思うのかというと、丁度自分の置かれている立ち位置に近いものを感じたからであります。下請けは日夜勉強や研究を行い、限られた予算の中でより良いものを創ろうと努力するのに対し、それは下請けのやることと見做し無下にして、ただただ見ているだけで終わる大手事業者、どっちのほうが技術者にとってよい状況なのか、私には判断の付きかねるものではあります。

 

 しかし、私は安定よりも技術を追う技術者でありたい。

 だからこそ、再び求職闘争を始めたのであります。

 

 全ての労働者に幸あれ。願わくば、全ての就活生が生きやすい就職先を見つけられることを。