旭駅本屋

SNSが普及しきった今日において、人々はなぜブログを使うのであろうか。

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新年開けましたのでおめでたい

というわけで新年です。そうです。元日過ぎて初記事というわけではないですが、書きたくなったので2019年、平成最後の年のエポックとなりそうな記事を書こうと思います。

1月も中盤に差し掛かり、業務は佳境、社会性フィルターはいい感じにお気持ち歯車のインボリュート曲線が互いに素な社会と噛み合っていることかと思います。筆者もここ人付きくらいの間に忘年会と新年会をいっぺんに消化して社会性フィルター、お気持ちエミュレーターをぶん回したわけであります。そこで、改めて普段利活用されることのないお気持ちエミュレータを動かして思ったわけです。

社会、ヤバいなと。

筆者はイット系キラキラWeb系社畜です。そうなると基本的に人間よりもコンパイラとターミナルと会話していることが多いです。彼らは人間と違ってちゃんと応答を返してくれるのでサイコーです。人間性が破綻しているとか、昼間から浴びるように酒を飲んでいるとか、机の上にお茶のペットボトルを載せているとか、ノックの回数がとか、乾杯するときのグラスの高さとか、ハンコの押し方とか、そういうところでつまらない指摘はしてこないわけです。CPUが解するか否か。それだけで決まるわけです。最高に楽。人間はクソ。人類は悪。

とまあ、こんな生活を続けているとお気持ちエミュレータが全然動かないわけです。や、個人的に楽だから良いんだけれども。

で、そうはいえどお気持ちエミュレータを可動させる機会が出てくるわけで、それがこの新年会忘年会シーズンなわけです。最高にクソな季節ですね。

改めて思うわけですが、人類はクソです。弊ブログでは人類のクソさを紹介する記事を幾つか擁しているので、今回は人類のクソさよりもお気持ちエミュレータについての諸考察について取り上げていきたいと思います。

 

お気持ちエミュレータ、処理が結構重いです。加えて多段ブートのように任意のお気持ちをロードするまで幾つかステップが必要です。つまるところ、健常人(けんじょうびと)と意思疎通を図るためにはこころの暖気が必要になってくるわけですね。筆者のお気持ちエミュレータは起動がゴミほどに遅く、プロセスを一旦killすると起動には数日かかるわけです。新年会などはその日しかありません。つまるところ、お気持ちエミュレータが起動する前にお気持ちコミュニケーションのるつぼに投げ込まれるわけです。地獄ですね。そうならないためには、定期的にお気持ちエミュレータを動かす必要があるわけです。

お気持ちエミュレーター、実は簡単に動かすことが出来ます。例えば健常人と会話を行うとか、テレビジョン放送を視聴するとか、そういう手段があるわけです。そういうのができればこうはなっとらんわって感じですが、そうっぽいです。その2つ捨ててから現世との隔世が広がったワイが言うんだから間違いない。

何が言いたいということも特にはないのですが、社交性を失ったおたくは社会とは徐々に噛み合わなくなっていくのだということを身をもって体感している年初なのでありました。おわり~。