旭駅本屋

SNSが普及しきった今日において、人々はなぜブログを使うのであろうか。

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課題を前にして掃除を始めることってあるよね

 勉強をしようといざ机に向かう時、目の前に広がる無限のゴミとも資料ともつかぬ物質を前に人は思うのである。掃除をしよう、と。これは作業スペースもファイルそのものも全て電子化された昨今においても同様である。

 課題を前にするも、ゴミとも資料ともわからぬ、そもそも何年前に錬成したのかさえ朧げな、海馬にアクセスしようものにも404 Errorを返されるようなファイル群が目についてしまい、いてもたってもいられなくなることがあると思う。ひょっとするとこれは多数派ではないのやも知れぬが、少なくとも筆者は作業前にHDD内の整理をしてしまいたくなる衝動に駆られるのである。

 ここで頭を悩ませるのがフォルダの管理である。世間一般的にはフォルダに分けるという発想自体乏しい上に、分けたところでせいぜい取り込んだ順だの大まかなジャンル別だのその程度になるらしい。それで目的の一枚が探せるのかと思うのであるが、筆者の記憶力が鶏並であるゆえに市井の人々にとって容易いことが出来ていないだけであるようにも思うものである。

 

 兎にも角にも、筆者はフォルダを分けないと気がすまない性分なのである*1。諸悪の根源は何だかんだで撮った写真が11万枚くらいあるのがいけない。世の中には100万枚撮影してるガチな写真屋もいる中で高々10万は少ない方だとも思うのだが、いかんせん千は兎も角万を超えると探すのが面倒なのだ。こうなると細かくフォルダで分けていくのが手っ取り早い。であるからか、フォルダの階層がこんな有様になる。

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 程々に探しやすいとも思うのだが、ターミナル駅で軽く撮ったスナップなどは探すのに骨が折れる上に駅前の風景一枚探すのでさえ面倒という盲点がある。或いは、ターミナル駅で撮ったスナップが多すぎて他が埋もれて探せないなんてこともある。何だかんだで騙し騙しフォルダの改廃を続けながらかれこれ10年位押し通してきたのだが、流石にシステムの限界を迎えつつあるとも思う次第である。

 ここで読者諸兄の中でこういう方法で分けている、こういう方がわかりやすいという素晴らしい案のある方がおられるようであれば是非とも教えていただきたい次第である。

 

*1:余談だが、ネットの海から収穫した素晴らしいイラスト群も作者別に分ける主義である。