旭駅本屋

SNSが普及しきった今日において、人々はなぜブログを使うのであろうか。

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東京○んぽのすゝめ

 我々の済んでいる街についてどれだけ知っていることであろうか。また、常日頃我々が使っている乗換駅について我々はどれほど知っていることであろうか。街を知るという点で言うなれば、そこをふらりと散歩するのが一番良い。情報は足で探せとはよく言ったものである。

 そういうわけで、筆者はよく学生の頃にオタクタウンを徘徊していたのである。定期券内でかつ乗換駅でかつオタク目当ての店がそこかしこにあるのだから降りて徘徊しない理由もない。しかし散歩というのは難しいものである。何の目的意識もないとただ目的地に行き目的の行為を済ませるだけで終わってしまう。それでは散歩ではなくただのウォーキングになってしまう。散歩というのは実はとても難しいのである。

 

 しかし、これが何か自分の知りえない何かを探そうとするとそれはそれで立派な散歩になるのである。知り得ない何かを探そうとオタクタウンを徘徊すること4年、興味の有りそうなオタクショップを制覇し尽くした筆者はオタクタウンで散歩たる散歩が出来なくなってしまったのである。何をしたいからどこへ行く、が確立されてしまった手前ふらふら右へ左へ宛もない散歩たる散歩が出来なくなった筆者はただ淡々と電気街口と廣瀬無線電機ビル地下1階を往復するだけの人間になってしまったのである。

 しかしここで救世主が現れるのである。

 

 そう、クソブログである。

 

 クソブログのネタを探すため右へ左へベンチを探す散歩が始まったのである。ちなみに、市街地になればなるほどベンチというものは少ない。尤も、一面のクソミドリが展開されるクソ田舎においては逆に人もベンチもなくなるのであるが。ああベンチよ、お前は一体どこに生息しているというのか。地方の百貨店やショッピングモールや駅の中くらいにしか無いんじゃないかと思えるくらいには町中でベンチに遭遇しない。故に、ベンチを探す散歩というものは厳しいのである。本当に厳しい。歩きに歩きベンチたるベンチを探し結果万歩計が一万歩を指し公開空地か公園か遊園か駅前広場くらいにしかベンチが無いという公理を導き出したのである。

 

 当たり前なんだよなぁ……

 

 これを導き出すのにかかったのは延3日である。三日間の散歩の口実が得られたのは良かったのか、それとも3日間で終わってしまったことを嘆くべきなのかはわからない。しかし、筆者はここで東京さんぽの口実を失ったのである。

 悲しいものだ。

 しかし、ここで救世主が再び現れるのである。

 そう、ダンピング魔剤である。筆者はオタクタウンでベンチを探している折りに170円で頒布されている魔剤を発見してしまったのである。200円、190円はわりと稀によく見かけるものの170円はまず見かけない。しかし見つけてしまった。こうなった手前探さない手はないのである。

 こうして、ダンピング魔剤を探すという、新たな散歩の口実を得たのである。

 

 最後に、筆者より一言。

 

 

 散歩はいいぞ。