旭駅本屋

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失敗の起こらない世界

 皆様は失敗が起こる世界と起こらない世界、どちらが良いでしょうか。かくいう筆者は失敗が許される社会に生きていたい人生でありました。なんでこんなことを書くのかというと、今現在失敗の許されない社会に置かれているからであります。失敗の許されない社会は失敗の起こらない世界を目指していくものです。今回は、そんな失敗の起こらない理想郷について考えてみましょう。

 

  失敗の許されない社会では、失敗の起こらない世界を作り上げようと日々努力をします。失敗の起こらない世界を作り上げようと努力した結果のひとつが失敗の許されない社会であるかもしれませんが、それは途中から観察している者にとっては些細な差でしか無いことでしょう。鶏が先か卵が先かなんてのは、既に育った雌鳥を前に悩むものでもないでしょう。雌鳥は有無を言わず卵を産み、卵からは恐らく50%くらいの割合で雌鳥が産まれることでしょう。そしてその根本について思いを馳せたところで、またそれが解明されたとして、観測する上で対象になにか変化があるわけでもないでしょう。観測者はただ淡々と観測を続けるべきなのであります。

 それでは、失敗の許されない社会を見てみましょう。あるものは失敗の起こらないよう、失敗が起こったらそれを関係者一同顔を会わせて共有するようにすることでしょう。あるいは、そうでなくてもデータとして残るようレポートの提出を義務付けるかもしれません。またあるものは、失敗が起こらないよう罰則を厳しくすることでしょう。これは罰金、罷免等様々な方法が考えられますが、基本的にミスが大きければ大きいほど大きな懲罰が大きくなることでしょう。多発しようものならピンポイントで罰則を厳しくするやもしれません。罰則があれば、誰しも自分を律して正しく行動することでしょう。

 ミスを犯すのは自分だけとは限りません、相方、部下、自分とは関係ないところでミスが起こり、そのとばっちりで出戻りや挨拶回りが必要になるかもしれません。であるのであれば、当然部下や同僚がミスをしないよう、常に気を配ることが推奨されるでしょう。ミスの責任は皆の責任であるとすればなお結束は強まることでしょう。これだけの対策を行えば、ミスも事故も起こらなくなることでしょう。

 私は、実際にこれらの取り組みを行ったことで、事故件数0を達成したA社に取材のオファーを行った。事故ゼロ運動について取材したいというと、A社は快く引き受けてくれた。

  指定された待ち合わせ場所に向かうと、スーツを着込んだ男が表れた。A社の広報であるという。広報の方に促され、大きなビルのあるフロアに入った。ここがオフィスであるという。作業場たる作業場もなく、ここでは確かに事故は起こらなさそうである。ここでああだこうだと事故ゼロ運動について聞いても仕方があるまい。矢張り取材をするなら最前線が見たい。広報を拝み倒して現場を紹介してくれというと、渋い顔をしながら郊外の工場にアポイントメントを取ってくれた。

 電車を乗り継いで郊外の工場に向かった。工場の周囲には植栽がふんだんに植えられており、ゆとりある空間に広々とした建屋が覗いていた。守衛室で取材の旨を伝えると、今度は製品管理部長を名乗る方が出迎えてくれた。この工場では主に製品の検品や管理、出荷を行っているとのことである。早速事故ゼロ運動の現場であろう工場の内部を見せてもらうことにした。

 工場の中は、なんてことのない広い倉庫のような空間に、いくつかのレーンが並んでいた。ここで検品をするのだという。人っ子一人いない状態はまるで廃墟の選鉱場のようである。不自然なまでに清掃された清浄な空間に、製品管理部長とただ二人ぽつんと佇むのはどことなく異様である。昼休みでもないのに動いていないラインというのも気味が悪い。このことについて部長に問いただすと、「うちは誰でも出きる作業は極力外注するようにしてるんですよ」とだけ帰ってきた。だから検品も外注しているのだと言わんばかりの言いようであった。「外注先で事故は起こらないのですか?」と問うと、「うちは外注先にも事故ゼロを徹底させているので大丈夫です!抜き打ち検査を行うことで品質も確保しています!」と、胸を張って答えた。ここには事故ゼロ運動の本質は無さそうだ。そう考えた筆者はその外注先の一つにアポイントメントを取ってもらい、取材を行った。

 その工場は、A社の工場から歩いても行けるような距離にあった。錆の浮かぶトタンの張られた古びた工場は、A社の工場との差を否が応でも見せつけられるかのようである。工場の門前に立っている人に声を掛けると、なんと専務であるという。時間的にそろそろ付く頃だろうからと、外で出迎えてくれたのだという。早速事故ゼロ運動の現場が見たいと言い、工場の中を取材させて貰った。「事故ゼロ運動、なんか色々取り上げてるらしいですけどウチまで来たのはお宅がはじめてですわ」と専務は言った。 大体本社の人間に話を聞くだけで終わってしまうらしい。現場を見ずに話だけ聞いても検証のしようも無いだろうに。入ってすぐのところに安全第一の標語が掲げられていた。工場にはよくある奴である。その下に、うっすらと茶色い埃を被っているものの、文字が書かれていることに気がついた。

 「無事故の記録」

 微かにではあるがそう読めた。

 「ああ、それですか。最近は事故が起こらないことになってるんで使ってないんですよ。あっても発注先の監査に見つかったら色々面倒ですしね」

 専務は肩をすくめてそう言った。

 「事故は起こらないんですか?」

 「やっぱりどうしても起こらないってわけでもないけれどもね、起きないことになっているから、そういうわけなんですよ。あっ、ここオフレコでお願いしますね。見つかると色々面倒なんですよ。書類に会議に指名停止まで受けるんですから」

 氏の背後で埃を被ったままになっている無事故の記録のフレームには、0のプレートが刺さったままになっていた。