旭駅本屋

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人生に失敗した話

 全宇宙100億人の読者の皆様おはこんばんちわ。現在無職の筆者でございます。

 

 突然ですが、皆様は人生をどのように歩んできているでしょうか。ロードマップを組んで、いつまでにこう、これをこう、こう、こう、こう……。なんてやってるのはごく一部の生まれの正解人間くらいだと思います。大概は川を流れる水のように、上から下へ流れていくものではないかと思うものです。それが人生を規定するレールであるかは兎も角として、バスに乗り遅れてはならない(使命感)と言わんがごとく先を急ぎ流れに乗るのが定石であり、世をうまく渡る術でありましょう。

 ところがどっこい中にはここで上手いこと流れにのれず、支流を延々進むものも居るわけであります。それが筆者でありました。それでも旧道と新道の如く、特に合流し、時に同じ道を歩んできてしまったがために、延々支流を進んできたにも関わらず、本流を進んでいるものとばかり錯覚してしまったのであります。そして人生での最大の決断の時、支流と本流が分かれる岐路に立った時、ついつい本流を選んでしまったのであります。それが自身の最大の過ちであり、人生に失敗したという本旨に繋がるのでありましょう。

  世の中には二種類の人間が居ます。生まれの正解と生まれの過ちです。それ以上の分類はここでは必要ないでしょう。生まれの過ちについては過去幾度か考察を行っているので、そちらも参考にしていただく思います。さて、ここで筆者の境遇について半生を振り返りますと、正解を選び続けられた生まれの過ちということが出来るでしょう。

 小学生の頃、筆者は非常に質の悪い生徒でありました。授業中に関係の無い部分の教科書を読んだりしていたのは記憶に新しいものです。中学の頃も似たようなことをやっていた記憶があります。こんなことをしているから、勝手に学力はそこそこを維持し、特段勉強すること無く地元の高校に進学した記憶があります。流石に高校ともなると同程度の学力の連中が集まる場であり、ここで今まで慢心してきた連中も改心して来るべき大学受験に向けて勉強をするのでありましょう。しかし筆者はここに来ても中の上の学力をキープし続けていたことにすっかり慢心し、大学受験に関する興味だの勉強だのというのを放り投げてしまったのであります。

 こんなんで大学に入れる訳がない。浪人するのがオチだろう。

 と思ったそこのアナタ!現役生のみ使える裏技があるんです!そう、推薦入学です!

 というわけで、筆者はE判定からの合格通知を成し遂げたのであります。最も行き先は三流私立大学でありますが。まあ受かるかどうか絶望的だったことを鑑みれば上々の戦果でありましょう。

 ここで、読者の皆様はお気づきになったかと思います。やってることは生まれの過ちコースなのに、何故か生まれの正解コースをたどることが出来てしまっていることがお分かりいただけるでしょうか?ここにきてまで本質的な部分が露呈すること無く波に乗ってきてしまったのです。そして、人生の岐路、就職闘争が幕を開けました。

 私はここで、生まれの正解社の内定を手にしました。これもノーベンでした。自分の人生ノーベンで出来てるようなもんです。生まれの正解社は新卒を1000人単位で取るクソデカオンシャでした。それこそ生まれの正解の権化であり、生まれの正解の濃縮された空間で生まれの正解をムンムン漂わせる連中と肩を並べ仕事をしなければなくなったのであります。

 ここに来て、生まれの過ちである自分は生まれの正解社会に違和感を覚え始めました。中学、高校、大学と、疎に生まれの正解集団と接することこそあれど、密に接したことのなかった筆者はここに来てお気持ちの高まりを感ずることになったのです。

 

 これにて人生、投了。

 

 投了したところで、終わるまでは終わらないのが人生なのであります。生まれの正解ルートが閉ざされた今、生まれの誤ちルートへの逆コースを敢行し、それを成し遂げなければならなくなってしまったのであります。しかしこれは思っている程難しいものでもないでしょう。水は易き方へ流れるものです。最期はその人にとって最も合理的な選択肢にたどり着けると信じて、明日を生きていく他無いのであります。