旭駅本屋

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「大正浪漫喫茶譚 ラクヱンオトメS」のステマ

 オトメの楽園は大正にあり!?

 不思議な時計と可憐な乙女が紡ぐ謎解き奇譚

 

 という帯に釣られ手を出してしまった一冊がそう、「大正浪漫喫茶譚 ラクヱンオトメS(著:館田ダン)」なのであります。以下過度なネタバレをする前に端的に結論を述べますと、一巻で程よくまとまったゆるふわな謎解きストーリーでありそこそこ面白い作品であります。

 

 が、悲しいかな考証が甘い感が否めないのがアレなアレでアレなのであります。

 物語は時間旅行が出来る懐中時計を祖父から預かった主人公のミーナが、友人のすみれと共に時間旅行をして現代と大正時代とを行き来し、大正時代の喫茶店ラクヱンを切り盛りするナツとハル、現代で生きるミーナとすみれの先生を巻き込みながら、物語の舞台である大正44年の世界線についての謎を追っていく話になります。

 物語の舞台は現代と大正44年の何処か*1であります。大正は15年までであることは聡明なる読者諸兄の皆様には最早語るまででもないと思いますが、まあこれは物語の鍵となる部分であります故考証云々からは外れる部分でありましょう。ちなみに、大正44年が仮に実在したとなれば1956年(昭和31年)であり、順調に日本が極東の先進国として発展していたのであれば、東京府が東京都になることもなく、統制が敷かれなかった陸上交通、電力は各社競い合うように殴り合い資本主義的カオスな息遣いが残るそれはもうオモシロイ世界になっていたことでしょう。さらには理化学研究所は世界の先端研究の一翼を担い、日本は原子力研究のトップランナーとして世界をリードしていたことでしょう。自動車はフォードとGMが蹂躙闊歩しトヨダもいすゞも公用車以外に出番もなく、軽自動車なんて市場も生まれなかったやもしれません。戦災復興都市計画など無かったことになり、名古屋の久屋大通若宮大通も広島の平和大通りも生まれなかったことでしょう。勿論東京市の城西にあるターミナル駅は駅前広場は広場と呼べる機能を持たず、猫の額程の土地をどうにかこうにかやりくりしてやってきたに違いありません。それはもう、秋葉原の東口にバスが来ていた頃のように、御茶ノ水駅でのバスの折り返しのように、細い街路をパズルのごとく組み合わせ、どうにかこうにかやりくりしていたことでしょう。きっとそうに違いありません。

 とまあ、そんな大変面白そうな時代を舞台にした物語なのであります。ちなみに44年であれど大正ということもあり出て来る女学生は袴にブーツです。流石に30~40年経てば大正モダンのイメージとは異なる服装が流行ってそうではあるものではありますが、まあ可愛いから善しとしましょう。別にいいんです。大正の前の元号も大正ですし、大正の次の元号もきっと大正なのですから。世の中は大・大正時代。我々の理想の大正時代がそこには転がっているのです。

 さてはて物語の鍵となるのはもう一つ、作中で大正時代の人間である(とされている)ナツが日本放送協会のことをNHKと呼んでいることであります。作中でNHKの成立が1950年(昭和25年)であることにすみれが違和感を覚えるところで物語の展開が進んでいく。が、特殊法人としての日本放送協会の設立は1950年であるが、社団法人としての日本放送協会の設立は1926年(大正15年)でありギリギリ大正時代であります。ちなみに、1950年の電波三法制定までは民放局の開局が事実上不可能であったため、恐らくNHKとも日本放送協会とも呼ばれずただ単に”ラジオ”かコールサインそのままで呼ばれていただろうと推測できます*2。JRを汽車だの列車だの呼ぶのと同じ理論であります。

 ちなみに、大正44年の話であるならばNHK呼びは至極全うな選択肢ではあろう。何故ならば、1956年ともなるとラジオ局に限らずテレビ局まで開局しているからだ*3*4*5。占領政策が無ければまだまだ放送協会の独占だった可能性も否定は出来ないが、むしろモダニズムに押され早い段階で民放各局が開局していた可能性も否定は出来ない。しかし恐らく作者はそこまで考えていないと思う。

 また、他の部分の考証も大分怪しいものがある。というかまず千代田区外神田と書かれた紙片がケースの中に入っているのはよっぽどアレである。まず千代田区が生まれたのは東京が23区になってから*6であり当時は神田區である。というか外神田の成立が1964年であるため、神田旅籠町なり神田花房町なり神田佐久間町なりと書いておくのがベストであっただろう。そうでもなければ大正44年という世界観すら怪しくなってくるものだ。加えて、作中でハルが往時の秋葉原に対し「野菜市場があったような…」と語っているが、神田の青果市場は元々神田須田町一帯にあり、秋葉原駅前に移動してきたのは昭和3年(1928年)の出来事である*7。つまるところこの世界線は謎。多分作者はそこまで考えてないし編集も何も考えてない。

 ちなみに、ハルがエスカレーターに対して「聞いたことがある」と言っているが、日本橋三越エスカレーターが設置されたのが大正3年(1914年)のことなので何ら問題はない。電車についても興味を示しているが、語るまでもなく都市部では普及していたのでこれも問題ない。が、多分そこまで考えて書いてないと思う。

 他にも大正時代の描写なのに窓枠がユニットサッシっぽかったりするけれども、木製や鋼製である可能性もありモノクロでありかつ描写がそこまで詳しくないのでなんとも言えない。あとは秋葉原駅秋葉原の描写がなんとも言えないなんともを呈していたりするが気にしてはいけない。連載時期の割に山手線が幅広車体でなかったりもする。しかし多分作者はそこまで考えてない。というか凝ると原稿料の割に作業量が合わなくなる気がしてならない。

 

 結果として、ツッコミどころが多々見つかる上にすごい細部のアレコレが気になって仕方がなくなってしまうのだが物語としては非常に面白いし一巻で終わる読みやすさから非常にオススメしたい一冊である。まあ突っ込みどころも考証の甘さもどうにかしてオチ付けられるようなオチになっているので気になった各位はぜひ手に取ってみて欲しい。

 

 筆者としては、ぜひとも次はそこそこ考証のしっかりした歴史の絡むきらら系が読みたいものであります。

 

*1:恐らく東京。ハルは秋葉原に野菜市場があったと言っていること、電車に乗ったことがあることから

*2:余談だが、”この世界の片隅に”においては広島放送局のコールサインであるJOFKと呼んでいた。……気がする

*3:JOARの本放送開始は1951年

*4:JOKRの本放送開始は1951年

*5:JOAKの本放送開始が1953年

*6:1947年

*7:神田青果市場発祥の地