ごめんなさい。貸切には行けません。
今、酒田駅にいます。
山形と秋田を南北に結ぶ列車を、私は見送っています。
本当は、あの頃が恋しいけれど……。
でも、今はもう少しだけ知らないふりをします。
私の見送った列車も、きっと誰かの青春を乗せるから。
2. 貸切列車
なぜ俺は酒田に? pic.twitter.com/8hAWMBX3JQ
— 市川 旭 (@Ichikawa_ykhm) 2020年9月12日
筆者は酒田で抑止を食らっていた。
その先に行く列車がないのだからどうしようもなかった。
昼飯も食っていない。駅前はさびれた景色が広がっている。せめて中心市街地に出て何か食べたい気分だった。
地図をもらいに観光案内所を覗いた。
気さくなおっちゃんが顔を出して、あれこれ観光スポットについて教えてくれた。なんなら自転車もタダで貸してくれるということで、借りて観光することになったのである。
おっちゃんの提唱した理想的なコースは、まず有名な山居倉庫を見て、そこから旧本間邸を見て、鐙屋を見学し、海鮮市場に行くか、本間美術館を目指すというものだった。それに従い、まずは山居倉庫を目指した。上のツイートはその結果である。
山居倉庫は実に興味深く、実に趣深く、とても楽しいところだった。30分は余裕で見られる。時間は存分にあったので、山居倉庫を存分に堪能し、パチパチ写真を撮りまくるオタクになっていた。ちなみに欅の木が生えているツイートの写真の側が有名だが、普通に川側も結構渋くて良さみがよさなので是非酒田にいらした際には両方堪能して両方ともパチパチして欲しい。
ここに自転車を置かせてもらって、川向にある旧本間邸に向かった。
旧本間邸はすごかった。
いや本当に凄かった。
ツイッターに写真を載せていないし、なんならここにも写真は載せられないのだが本当に凄いのである。
まず広く、欄間やふすまにも贅を尽くして細かい細工がしてあり、何よりも外向けのスペースと内向けのスペースの導線が分離され、かつ内装のコンセプトを若干変えてそういう雰囲気づくりをしていく建物全体の設計といい、何から何まで和風建築の粋を見ているような心持になるところであった。
一つだけ惜しいところを挙げるとすれば、写真撮影が禁止されているところだろうか。
続いて鐙屋に向かった。
鏑矢では受付の気さくなおばちゃんに「今来てよかったねぇ。9月末からしばらく閉館になるんだよ」と言われた。なんでも大規模修繕をするらしい。
ちなみにこちらは本間邸とは異なり撮影は自由にしても大丈夫とのことであった。隅々に至るまで豪奢であった旧本間邸を見ると見劣りする部分はあるが、比較対象がまずいだけである。普通に見ていて面白いもので、広々とした邸宅に杉皮葺の石置屋根という今では中々お目に掛かれない様式なので、それはそれなりに面白いのである。
鐙屋で30分くらい養生し、山居倉庫に戻ってそろそろということで駅に戻ろうとした。戻るにも元来た道を戻るのは味気ない。ストレートで山居倉庫に向かってしまっていたし、ここはひとつ中心市街地を見ておきたい。
そう考えて、市役所の脇から鐙屋のほうに進みつつ、中心市街地っぽい雰囲気の通りを進んだ。
しばらく進むと、明らかに百貨店と思われる建物とアーケードが現れた。
百貨店は屋号を清水屋というらしい。筆者はこの時清水屋なる屋号を初めて知った。地場系百貨店っぽいので気になる。早速自転車を止めて中に入った。
一歩百貨店の中に入る。
おばちゃんがベンチで養生している。どこでもよく見る光景だ。
その先にあるガラス戸の向こうへ進む。
大体の百貨店であれば、なんかこうシュッとした雰囲気があるのだ。
凛とした張り詰めた空気に、背筋がシュッとするアレがあるのだ。
なかった。
覇気がまるでなかった。
なんかこう、百貨店でウインドウショッピングしていると買わんのに見ているのなんか申し訳ないなーとかそういう気持ちがわいてくるものだった。
なかった。
買う買わないの前に、物の無い棚が目立った。
共産主義社会のマーケットを髣髴とさせた光景だった。
催事場レストランフロアがあるというので、一応念のためレストランの存在を確認するために上まで登った。
なかった。
レストランなどなかった。
あったのはゲーム筐体だった。
屋上にありそうな雰囲気はあるので、それの代わりととらえることもできよう。
エスカレータの脇に生えているフロアマップを見ると、かつてはここにレストランが存在していたことがちゃんと書かれていた。
なんなら屋上へのアプローチもどこかにあったのか、その存在自体はフロアマップに書かれていた。
しかしそんなものはなかった。
店内の至る所で「催事の準備のため」という立て看板を見た。
かつて催事を伝えていたであろう垂れ幕を掛けるレールには、何も掛かっていなかった。
のちに、この百貨店が山形県唯一の百貨店であるとWikipediaで知った。
地方都市のかつての中心市街地の地位低下というもののすさまじさを肌身で実感することになってしまった。