旭駅本屋

SNSが普及しきった今日において、人々はなぜブログを使うのであろうか。

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令和4年度ラッセル撮影事業(2)

なんとなく、ああこの街にやってきたんだなと思える光景があると思う。筆者の中では旭川は特にそういう情景が多い。富良野線忠別川を渡る時、40号で永山のロードサイド商店街の明かりを見る時、函館線で神居古潭のトンネルを抜けて近文を通過する時、ああ旭川にやって来たんだと思うのだ。ある意味では、記憶に残る街なのかもしれない。今日もまた、神居古潭の長い長い圏外を超えて、旭川へとやって来たのである。

 

旭川のイオンで耳あてとマフラーを買っていた。

耳あては冬の北海道の必須アイテムと言えるが、去年買ったやつが見つからなかったので買っていた。売ってさえいれば大した金額ではないのでそこまで痛い出費ではない。

駅には10分程度で戻った。トイレに籠城していたK特急氏ときむたつ、収納両氏と合流し、レンタカー屋へと向かった。レンタカー屋へは行くものの、今日は追っかけはしない。今日の宿は豊富温泉であった。いつも追っかけて夜半に天塩川温泉に着く我々としては、とてもその北に追っかけてまで行けるとは思えなかったのである。なので追っかけはしない。しないので40号も通らない。今回はひたすら232号で北上する。40号を通ると追っかけたくなるといけないと事前の協議でそう決まったのであった。

 

 

 

 

 

 

峠下駅に来ていた。

峠下は留萌本線唯一の交換可能駅である。これを書いていて沼田以西の廃止で交換可能駅が消えるという衝撃的事実に気がついてしまったが、それはそれとして。峠下に来ていたのは他でもなく排雪列車を撮るためであった。

 

追っかけはしないが、撮らないとは言っていないし多少はね?

 

 

その昔、バーミリオンラッセルというものがいた。

居たと過去形にしてしまうのはあまり正確ではなくいまでも居るのだが、コイツがまたまずまず滅多に動かないのだ。君一応新型なんだよね?

このバーミリオンラッセルであるが、実質中身はこのENR-1000と同じである。留萌で運用してノウハウはあったのだから、石北の方も導入したらすぐに増えてDE15も一掃されるのだろうと思っていたらそんなことはあまりなく、未だに数も運用も大して増えていないというのが実際のところである。ラッセルもよく壊れたの代走だのと言われる日が多いが、実際のところこのENR-1000も似たようなもんらしい。少し前に壊れてハイモで除雪していると聞いていて、今日も見れるかどうか気を揉んだものだったのである。然るに石北の方も似たような塩梅になっていて、車齢の割には難儀しているのかもわからない。

 

時刻は14時を過ぎていた。それもそのはず、交換する留萌行きは14:00発なので、交換して線閉とってとなると14時をどう頑張っても過ぎるのだ。トイレだなんだと養生し、我々と除雪人夫以外の車も無くなった頃、我々はやっと動き始めた。

 

勿論昼飯を食べるためである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

留萌は街であった。街には飯屋がある。筆者はあるんだから山岡家でええやんと言っていたのだが「いや一昨日山岡家食ったんですよ」と収納に言われ、別の店を選定していた。収納はマクドを提唱していたが留萌にはマクドはなかった。代わりにモスがあった。モス地元に無いんでモス行きましょうと言われ、あれよあれよとモスに向かっていた。久しぶりのモスはうまかった。多分大阪で玉ねぎバーガーを食った時以来だったと思う。収納イチオシのモスチキンを4人全員頼み食っていた。バーガーは皆思い思いに頼んでいた。勿論筆者はオニポテも頼んだ。

30分ほど養生し、近所の生協を見て、駅で出ていく列車を拝んでいた。

 

 

北海道の日暮れは早い。

もっとも、我々が廃線記念のパネルを食い入るように覗いていたのも良くなかったんだと思う。オタクは平気でパネルを30分くらい読んでしまう。よくない。いや、別に良いといえば良いのだが、まだ豊富温泉まで2時間半くらい掛かるのだ。本来的にはあまりここでゆっくりすべきではない。ゆっくりすべきなのは宿なのだ。

 

留萌から232号を北に進んだ。日本海が綺麗なところらしい。そう書いてあった。左手には雄大な闇が広がっていた。きっと日が出ていれば綺麗なのだろう。人家の明かりもロクにない中、テールライトとヘッドライトがひたすら流れる国道を進んでいく。旅はまだ終わらない。

「留萌を出ると、小平、鬼鹿、古丹別、苫前、羽幌、初山別、遠別、天塩、幌延……かな?」
「なんで今急行はぼろの停車駅を?」
「何って、この先にあるセイコーマートのある街だが……」

 

行き先に留萌を掲げる路線バスが時折向こうからやってくる。コンビニが数十キロ無いような土地なのに、結構な本数のバスが走っていた。時刻表を見る限りは1~2時間に一本程度はあるらしい。この人口でもそれだけ走っているのであれば十二分な気もする。

 

トイレ休憩ということで、羽幌で一旦休憩していた。もうずいぶん来た気がするがせいぜい半分くらいの距離であった。天塩川温泉に行ったときも思ったものだが、冬の北海道旅行は矢張り日が暮れてからが長いのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


太陽は無いが快晴らしい。

「月が綺麗ですね」
「誰か気になってる人でも居るんですか?」
「言わせるなよ」

デマと言われる逸話をもとにした不毛なやり取りを三回くらいしていた。K特急氏と収納氏が。後部座席で座るきむたつ氏はほぼ爆睡、もう一方の筆者はカーステをかき鳴らしていた。

月がきれいということで、ここで月にまつわる曲を一つ」

I am GOD'S CHILD
この腐敗した
世界に堕とされた

How do I live on such a field?
こんなもののために
生まれたんじゃない

 

「めっちゃ田舎町に行きそうな曲ですね」

きむたつ氏はそう言った。

そうは言っても周りはほぼ何もない田舎町。つまり今こそ物語の中盤くらいなんだと思う。そろそろ誰か死んでいるのかもしれないし、最終的には根本的な問題が解決することなく町から帰ることになるんだと思う。

 

 

 

思えば遠くへ来たものだ。

ここで晩飯でも買いましょうと幌延でセコマに入っていた。いつものようにSuicaで決済しようと「Suicaで」と言ったところ、「スイカ?」と聞き返された。「交通系で」と言って事なきを得たが、大抵発行枚数の暴力で「Suica」とだけ言っておけば通じると思っていたものが通じず、交通系IC自体もこんなところではコンビニくらいしか使えないしなぁと思い矢張り遠くへきたものだと改めて思うのであった。然しあれはKitacaだったら通じていたのだろうか。