旭駅本屋

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令和4年度ラッセル撮影事業(6)

夜の雪国は案外うるさい。そう気がついたのは4時にアラームをセットしたはいいものの、誰も起きず布団の中で芋虫になっている時だった。ガリガリともバリバリとも、なんとも言えない音が時折街にこだましていた。多分除雪車だろう。布団の中でウトウトしていると、二度三度とアラームが波状攻撃を掛けてくるので、流石にと起きたのであった。

勿論二度寝するためにこんなに早く起きたのではない。ササラを撮るためだ。

 

ササラはいい感じに掃いていた。

動いているササラは初めて見たかもしれない。

外積もっていないように見えて、そのわずかな雪をかきあげていくという感じなので、思っていたよりは跳ね飛ばしている。

 

この後速やかに宿に戻り、僅かながら再度睡眠を取るのであった。

 

 

札幌に来ていたが、我々の旅はまだ終わったわけではない。もうちょっとだけ続くんじゃ。
札幌でレンタカーを借り、道央道を爆走していた。目的地は留萌である。

深川留萌道を爆走し、収納は言った。

「こんな道路が出来たとなれば留萌線は要らないですよね」

深川留萌道が全通したのは2020年。そう考えると、交換可能駅が一駅しかないこの路線ももう不要なのかもしれない。

留萌駅にはハイモが居た。我々はENRを求めていたが、ENRは居なかった。居ない以上はどうしようもない。留萌駅でそばを食い、駅を眺め、出ていく列車を眺めた。

ハイモやENRを含め、保線機械というものは基本的には列車ではない。このため線路閉鎖を行ってから線路を走行する必要がある。線路閉鎖絶対信号機から絶対信号機までの間でかけるらしい。なので、留萌線の除雪列車は12:18に留萌を出る列車が峠下を出た後に留萌駅を出発せざるを得ないのである。つまり12:43以降に留萌を出るのだ。

我々は20分の無を過ごすことになっていた。

養生するのも微妙だからと、黄金岬へと向かっていた。向かった直後に時間になったので、何もせずに引き返してきた。事前に調べては居たものの、峠下までにはめぼしい撮影地もなく、ひとまず峠下へと向かった。

 

 

峠下には我々以外は誰も居なかった。

雪庇に上がり、ロケハンをしていると、ほんの僅かながらオタクが供給された。留萌ラッセルは宗谷ラッセルなどに比べると撮影者は少ないのかもしれない。

仲良く峠下駅前の踏切で粘っていると、しばらくして排雪モーターカーがやって来て、止まった。オタク曰く、踏切の前では必ず止まるらしい。数分してやっと動き出したものの、駅も近いので速度も出さず、速度が出ないので雪も撥ねず、動くハイモを見て終わった。

 

峠下で見送った我々は次なるポイントを目指した。

ハイモだからテンションが下がっているところはあるが、そうはいっても動いている除雪車なのだから撮るしかない。

地図を突き合わせつつ、撮れるポイントへ向かった。

 

 

真布駅の手前のストレートに着いた。

峠下でも会ったおっちゃんが先に居た。道路と線路の間の高い雪庇に登って撮るしかないのだが、これがまた中々難儀なものだった。1mくらいの雪庇はまあまあ高く、まあまあ垂直で、幾ら踏み跡があるとは言えとても登れる気はしなかった。おっちゃんは優しかった。手を貸してくれて、ポールと合わせて登るんだと言われその通りに登ったら難なく登れた。

続いてK特急氏に手を貸す。後からきむたつ氏も登る。最後に収納が登った。収納はすこぶる難儀していた。きむたつに手を貸してもらっていたものの登れず、ずるずると雪庇の踏み跡を均しながら道路に落ちていった。ポールをしっかり持って体重を預けて手を持って登るんだと伝えるとなんとか登れていた。

とはいえ体重は落としたほうが良いと思う。

 

 

収納がうかうかしていたので割合ギリギリでおっちゃん含めポジション取りをして撮影した。人が少ないからか、宗谷と違って人の温かみのある撮影になっていた。あの時のおっちゃん、何から何まで色々ありがとうございました。

 

その後、帰り際に収納が懺悔していた。獣道の段差を壊してしまったというのだ。たしかにツルッツルだった。あれだけ登りやすかった道はすべり台と貸しており、これは明日以降恨まれるんだろうなと勝手に思っていた。

 

 

我々は道央道をひたすら飛ばした。

勿論帰るためである。

札幌から収納は北斗に、きむたつ氏とK特急氏は千歳に向かうという。まだエアポートの時間まであるからと、ポムの樹に入った。ポムの樹はどこにでも樹立しているので花まるなどのほうが良かったのだが、花まるは流石に混んでいた。時間を勘案した結果、ここになったのだ。

各々オムライスを頼み、食べた。

 

 

札幌で皆改札に吸い込まれていった。

 

収納は北斗に乗り、皆で見送った。

K特急氏ときむたつ氏はエアポートに乗り、筆者が見送った。

 

やることも無くなったので、改札を抜けた。

高架沿いを西に歩く。

 

帰るまであと2日ある。

何をやるかは決まっていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宿に着いて、宿で連泊するからと荷物の整理をしていた。

ラッセル旅行というものは過酷なものである。大量のカイロと大量の甘味をカバンに詰めて大体行くものなのだ。カイロはまあ、お察しのとおりである。甘味は最悪どっかしらで缶詰になったときのカロリー源である。然るに、カバンの中にはまあまあな数羊羹が入っているのだ。コイツらは実際微妙な重さがあり、微妙なのだ。

屹立しなかっただけであと2本自分の分の羊羹があった。ちなみにこいつは結構でかい。音威子府羊羹二本分くらいある。

 

そして自分の分でない羊羹が2本あった。

 

 

自分の分でない羊羹が2本あった

 

 

 

自分の分でない羊羹が2本あった

 

 

 

確認したところ収納の羊羹だったらしい。

財布忘れたわムーブで収納に羊羹を買ってもらい、そのまんま全部もらっていたというのが話のオチだったようだ。収納は120km/hで道南へ驀進していた。最早どうしようもない。北海道はまた何度も行くので、そのときに渡せばよいだろう。