旭駅本屋

SNSが普及しきった今日において、人々はなぜブログを使うのであろうか。

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Non Reserved(1)

そうだ

京都、

行こう

 

京都に行こうと思い立ったのは三連休の直前であり、その2か月ほど前でもある。ETR651氏に「こういうのすきそうだから」と京都モダン建築祭なるものを教えてもらい、いうてもまあまあな金額するなどうすっかなと検討に検討を重ね検討を加速した結果、行くことにしたのであった。ついでに乗っていなかった北陸新幹線敦賀までと、途中に黒部峡谷鉄道の猫又駅で降りられるようになっていたのでそちらも行きたい。概ねざっくりとした計画を前日までに練って、始発の新幹線に乗ったわけである。

始発の新幹線と言っても厳密には始発のひかり533号ではなくのぞみ97号である。こちらの方が京都へは先着するので実質始発である。のぞみ97号は基本的に自由席でも空いている。使える人も限られているし、そこまでして新幹線に乗る人もいないからだ。だもんでこれが混んでいるとこの先はタフな可能性が高い。なぜなら皆遠出しているからだ。そしてこの日は結構混んでいた。座れなかったということもないし、立っている客がいたわけではない。ただ、2列席は全部埋まっていて、3列席の通路側を選ばなければならないくらいではあった。これはこの先の混雑が早くも思いやられるというものだ。

 

USB Type AからCのケーブルを持ってくるのを忘れたので淀に取りに来ていた。時間が余っていたというのも大きいし、時間外の店舗受け取りがあることも大きかった。もとより京都で2時間時間があったので、ここで時間を浪費したところでというところだ。

清算窓口でぼやぼやしていると案外時間を食っていた。うめきた新駅も見たのも大きい。あれだけ余っていると思っていた時間はあっという間に溶けていき、そういうえば街中に行けるしと阪急に乗ったころにはちょうどいい塩梅で京都に着くくらいになっていた。

 

四条河原町の阪急から河原町三条へと歩んできた。なぜかと言えばメシを食べるためであった。ここには志津屋という京都で有力なパン屋がある。なので来ていた。大抵の良い感じのパン屋はパンと茶をセットで店内でしばけることが多い。ここの志津屋もその類であった。筆者はモーニングのセットを頼み、カービィが吸い込むかの如く速度で腹にメシを詰めて河原町御池へ向かった。

河原町御池の市役所の向かいにあるビルで切符を買った。拝観に用いるらしい。U29が使えるらしかったので使った。

 

河原町通河原町押小路まで歩いて西に入り美幸町通へ向かい北に歩き京都御幸町教会に来た。撮影ウェブ公開可らしい。スレート葺のスレート単体を目の前で見せてくれたりした。結構硬かった。作画資料とパシャパシャしていたが殆ど人が入っていたので掲載しづらいの感を覚える。通年公開ではないとこういうことになる。まあしょうがない。見せてくれるだけありがたいというものだ*1

 

来た道を戻り、河原町を南大国橋通まで南下し東へ向かい、先斗町歌舞練場に来た。

京都を歩いているとデカくて厳つい建物があるなというのが幾らかあるが、そのうちの一つが先斗町歌舞練場であろう。これはまあまあデカい。中身を知らなかったので、見せてくれるというのはありがたい話であった。

 

よかった。

 

はい次。

 

西に向かい河原町通を北に姉小路通の辺りで出てくるのがカトリック河原町教会である。

まあ教会。

教会は何分よくわからないとされている。何よりキリスト教がよくわかっていない。

 

三条通を西へ向かい旧日本生命京都三条ビルへ来た。中を見るというよりは外を見る感じだった。

市役所に来た。市役所は厳つい建物だった。役所ではよくあるタイプだ。中身はゴリゴリにチューニングされており、修復されつつも結構手を入れるところはいれている感じだった。



島津製作所 創業記念資料館を見た。

実は別にイベントごとでなくても見せてくれるらしい。筆者は別に特段そこまで就活を頑張っていたわけでもなかったので、領分の外にある島津がどういったメーカーなのかよく全く知らなかったがここで知ることになる。普段からこういうよくわからないムーブをしていないと狭い知識で生きていくことになるかもしれんなと改めて思うのである。

 

朝方から降っていた雨も島津を出たころには幾らか強くなり、歩くのも大分苦労するくらいになっていた。そういえば台風が来ているというニュースを昨日見た。昨日の時点ではまあいうてなんとかなるやろくらいで考えていたのでなんとかなっていたが、実際問題歩くとなると少々厳しい。

 

 

雨に打たれながら南下し、旧立誠小学校を見ていた。

元々小学校だったらしいが今はホテルだという。なんかなぁといった感じだ。筆者の通っていた地元の小学校もいつの間にか解体されマンションに代わってしまっていた。そんなものかもしれないが、なんかなぁといったところだ。知るものはいつしかなくなり、或いは誰かのものになり、それが幾ら思い出の土地だとしても立ち入ることすら叶わぬ土地になるかもしれない。生きていればそういうこともある。

 

雨は酷くなるばかりであった。

流石にこんな中出歩くのも馬鹿らしかった。

高島屋や大丸なんかで時間をつぶす。おそらく15時まで待ては多分雨は弱まる。3時間程度暇をつぶせばどうにかなると踏んでいた。そうはいっても3時間。急に時間を浪費しろと言われても難しいものだった。

アーケードがあるからと寺町を北上し、メロンブックスへ行った。行ったところででもある。この雨だ。何か買ったとて、すぐに濡れてとんでもないことになりそうであった。なので余程のことでもなければ買うのもはばかられる。在庫も首都圏とそう変わるものでもなく、コラボでパネルが立っているバキ童を見て退店した。

しょうがないからと地下鉄に乗り、京都へ向かった。

 

 

幾らか雨は弱まっていたので重信会館に来ていた。まあ、そうかって感じの建物であった。

 

 

西へ歩き本願寺伝道院へ来た。見せてくれるだけありがたいところではあるが、撮影禁止であった。見せてくれるだけありがたいところだが、とても凄い建物だったので撮れないのはやや癪だった。金をつぎ込んで建てて金を掛けてメンテしている感じの建物であり、普段は非公開なので見せてもらえるだけでもとてもうれしいところである。

 

 

龍谷大学に来ていた。見せてくれるらしい。

いい具合の木造建築であったが、中で受講する分には少し古い校舎レベルの感想で終わるだろう。全体的にバキバキに改装され、よく清掃され古い建て方であることは伺えるものの現代水準で不便をするようなものではなく、教室は全体的にまあ大学ってこんな感じだよなくらいの水準に仕上がっている。外観との乖離がまあまあ凄い。



近傍にある旧淳風小学校に来ていた。撮影禁止らしい。母校もまあまあ古かったが流石にこのレベルではなかった。まあまあ古いが、そうはいっても小学校といった造りだった。

 

顕道会館に来ていた。

現役の施設らしく、よく管理されていた。改装されていても現役の建物の方が矢張り見ていて気分が良い。建物は使ってこそナンボである。

2階に上がって見ていると、帰り際に四角い香盤が目に入った。中を見ると電子回路のパターンめいて香が這っていた。香時計だった。

係員の人に声を掛けられたのでついでに聞いてみた

「時計か何かですか?」

「そうです。大体1/4くらいで1時間測れるそうですよ。毎回盛らないといけないので、手間がかかるということで後々線香が主流になったそうです。時計ですか?と聞かれたのはお客さんが初めてですよ」

 

その後いい具合の女性の方が「いい香りですね。白檀ですか?」と聞いていて、己の学のなさというものを恥じるのであった。お香の香りはまだよくわからんとされている。定石はあろうので覚えたいところだ。

 

 

歩いて京都駅へ戻った。

京都の宅が折角だから飲まへんかと言っていたので折角だからと来ていた。淀の一角のエビスバーでたらふく飲んでは食った。この後京都の宿が滅びていたからと、出来立ての東横インを求めて奈良県まで向かうのだがそれはまた別の話である。

*1:他所の公開してるか怪しい教会で頼んだら見せてくれておまけに写真も撮らせてくれたので、丁寧に節度を持って応対すれば出来ないこともない。が、相応の分別とコミュ力が求められるので推奨しかねる