旭駅本屋

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東京航路

我が日の本は島国。なので必然的に海運は運輸の一翼を担うのである。然しそんな内向航路の主軸は貨物であり、気軽に乗れる旅客船というのは島嶼の多い地域を除いてはあまり無いのである。日本旅客船協会のサイト*1などを見るとその地域的な偏りが伺えると思う。ちなみに関東は見ての通り険しい感じになっている。何分気軽に乗れる航路が金谷と久里浜の間しか無いことになっているし、実際そのとおりだからだ。

なので航路というのは幾ら海が近くともあまり馴染みのないものであったのである。せいぜい房総の奥に行く傍らに乗っておくかくらいのもので、さもなくば瀬戸内でブイブイするか、北海道に渡るのに使うか、そのくらいでしかなかったのである。

 

知り合いのオタクらが同時多発的に船に乗っており、俄然機運が高まったので乗ってきたのである。オタクはちょろい。

しかもこの航路は横浜から東京までときた。乗らない理由がない。

 

横浜港大桟橋埠頭

オタクはちょろいので早速サクッとふぁぼってきたオタクを道連れに横浜は大桟橋埠頭に来ていた。埠頭内のターミナルにはレストラン船のカウンターと、仄暗い日本郵船のカウンター、それと東海汽船のカウンターがある。ちなみに東海汽船のカウンターは他のフェリ―ターミナルで見れば普通だが、大桟橋埠頭のドームっぽい開放感ある空間では結構異彩を放っていた。普段はここのカウンターに用もなく、ここから島嶼に行けるんやなぁくらいにぼんやり考えていたのだが、逆も然りであったのである。

東京港竹芝桟橋までの乗船券が買えるとは思いもしなかったのである。

ここでさるびあ丸ラストクルーズということで1000円になっていた片道乗船券を買い、ターミナル内を無為に徘徊し、トイレで下痢をモリモリ排出して時間を潰した。

 

 

東海汽船のフェリーは概ねデリックが付いているのが特徴である。これが又古い貨物船を彷彿とさせて高まるのである。

最近は岸壁に荷役施設があることが殆どなので、デリックを活用する機会もそうないだろうに。と、思っていた。

 

見づらいが、クレーンの根本に係員が居ることが見て取れるだろう。

デリックはバリバリ活用されていた。

 

ぼうっと船を見上げていると、下船が終わり入れ替わり乗船になった。多少古さの拭えない船内を一瞥し、真っ先にレストランに向かった。
なんせ終了が1900らしく、行かないと実績【レストランで優雅に晩飯】が開放できないからだ。このクエストをこなすためにも、我々はレストラン「さるびあ」へと向かった。

レストランさるびあは食券式である。事前にメニューを決めなければならない。
しらす丼が気になっていたので食べたみがあったのだが、あいにく売り切れていた。
次点でということでオムライスと島レモンチューハイなるものを頼むことにした。

少々古ぼけた店内はセルフ式で着座する方式であり、着座と同時に店員が飛んでくる仕様になっているようであった。ようであったというのは何分その流儀がわからずキッチンの方に向かい店員に直接食券を渡した後に席に座ってしまったからであり、席に座ると同時に微妙な雰囲気で店員がやって来て微妙な雰囲気になってしまったからである。次はきっとうまくやる。

 

注文したオムライスはイメージ画像そのままのクオリティで供食された。
そこまで美味いわけでもないが、別に不味いわけでもなく、普通でありつつかつ手の込んでる料理を食った気がした。
よくある大衆食堂や船内食堂は元来こういうものだったのかもしれない。
いつから金を払って店で食うなら美味いものでなければならないという思考になってしまったのだろうか。然し筆者は貧しいのでとても博打に出れず安定して安定しているチェーンに逃げてしまうのであった。

 

飯をパパっと平らげてサクッと船内を散策することにした。

こういうのの定石はまずデッキに出ることである。

早速目の前の銀色の扉を選びデッキに出ると、一段づつ階段を登って屋上を目指した。

 

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Fig.1 広場

途中でやたらと広い空間に遭遇した。この裏手には意味ありげなステージと思しき台と、カウンターと見られる空間が残置されていた。嘗ては何かのショーが提供されていたのだろう。

 

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Fig.2 カウンター

更にその先にもカウンターがあった。ここは大きめなので何かしらを販売していたのだろう。手前のがショーのチケットカウンターではなかろうか。そう同行のオタクと話していた。
このひとつ上のデッキが最上階である。

 

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Fig.3 ファンネルマーク

最上階は暗く、そして寒かった。
遮蔽物のない中で吹き付ける2月の風というのは死ぬほど冷たい。よりによって日が暮れた後なので尚の事である。
ファンネルマークくらいしか照らす気のない灯火もまた冷たく感じるものであった。
幾ら東京湾といえど湾内は暗く、腰ほどしか無い手すりをひょいと乗り越えれば誰にも見つからずにこの世を去れるのではないかと思えんばかりであった。
周囲に灯火というものがロクになく、はるか遠くの房総や京浜間の海岸線が白やオレンジに光るのが見えるばかりであり、その合間に黒山のごとく停泊中の貨物船が影となって横切るのである。

そんな体たらくなので、首都圏のど真ん中とは思えないくらい夜空は綺麗なのである。柄にもなく夜空を見上げ、天球に幾らか瞬く一等星の中からあれが鼓星かと眺めるも、他の星座がまるでわからないのでよくわからんが綺麗な空だと見惚れて終わるのであった。

暫くして頭上を恐ろしく大きい旅客機が横切る。
東京湾はご存知の通り羽田のアプローチの真下なのである。暗い機内からやれあれがディズニーランドだの貨物船が見えるだのと言っている真逆のことを今やっているのである。白い衝突防止灯にぼんやり照らされる躯体がゆったりと東京方面に向かっていく様は、さながら帝都に精密爆撃に向かう重爆を洋上で眺めたらこんな感じなんだろうな、と思わせるものがあった。いや知らんけど。

 

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Fig.4 航空機

写真で見る限りあんまデカくなさげに見えるが、これが意外と存在感ある体躯に見えるのである。多分何も無いからな気はする。

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Fig.5 着陸待ちの航空機ら

ちなみに結構見えるので益々隊列を組んでやって来る重爆感が出てくる。
知らんけど。

 

寒すぎたので一旦退散して意味もなく船内を徘徊した。

 

船内で500mlのビールを買い、ビールだけでアテも無いので再びデッキに出て黄昏れていた。 こういうときは歌でも歌いたくなるものである。チキンなので左右を指差し確認し誰も居ないことを確認した上で上機嫌でビールを煽りながら歌っていた。

 

波の響きで眠れぬ夜は

語り明かそよデッキの夜風

星が瞬くあの星見れば

くわえ煙草が目に染みる

 

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Fig.6 東京港青海コンテナ埠頭

ナトリウム灯で照らされた青海コンテナ埠頭、その奥は真っ白なレインボーブリッジに東京タワー。奥にそびえ立つのは浜松町のビル群だろうか。絵に書いたような東京港みたいな光景がただただ無限に広がっており、無限に高まっていた。

青海コンテナ埠頭が真横に見えるなら反対側は品川コンテナ埠頭が見えるはずでは?と思い立ったので反対側も見ることにした。

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Fig.8 東京港品川コンテナ埠頭

案の定品川コンテナ埠頭があり、概ね想定通りに貨物船がおり、更に運がよいことに荷役の最中であった。上機嫌でカメラを振り回し写真を撮っていた。

 

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Fig.9 レインボーブリッジ

しばらくしてレインボーブリッジをくぐる。

竹芝埠頭までの航路なので当然ここを潜るのである。ちなみに東京港発着であるがオーシャン東九フェリーはレインボーブリッジを潜らない。なにせあちらは有明フェリーターミナル発着だからだ。なので、相応の規模の客船でレインボーブリッジを潜ろうとするならば東海汽船のフェリーに乗るしか無いのである。
なので、意外とこの横浜東京航路というのは手軽かつアドなのである。横浜港でもしこたま宣伝していた理由が伺えるものである。

ちなみに余談であるが、筆者はこのレインボーブリッジと東京タワーが一緒に入った構図を見るとレインボー発を思い出してしまうのだが、読者の皆様は如何だろうか?

 

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Fig.9 東京港竹芝埠頭

ちなみにレインボーブリッジを潜る前から爆音で下船みのあるBGMが流れているのだが、察しの良い読者の皆様は御存知の通り実際接岸し下船できるのは数十分後である。この微妙に哀愁そそられるBGMを聴きながらゆったりと近づいてくる港湾施設を眺めるのがフェリーの醍醐味の一つだと思う。たまーに気が急いてまだ接岸せんのかとか思ってしまうが、ここは座して待つべきなのだ。

出口の前がヒリついてきていたので、ひとつ上の階のデッキに上がって竹芝埠頭をぼんやり眺めていた。
基本的に、接岸してもすぐは降りられないのである。

 

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Fig.10 タラップ?

Fig.10のような、下船用にタラップなりボーディングブリッジなりを用意してからの下船となるのだ。東京周辺のフェリーだと、東京湾フェリーは金谷、久里浜双方ボーディングブリッジだし、有明フェリーターミナルは言わずもがなだし、この手のタラップというかスロープを据え付けるのはここくらいな気がしてくる。

ちなみに据え付けは結構人力だった。

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Fig.11 竹芝客船ターミナル

慌ただしく下船を煽られターミナルに行くと、荷役の準備と思しきフォークにコンテナが用意されているのが見えた。なんだかんだでこのフェリーは伊豆諸島の生活航路であるのだ。

 

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Fig.12 デリックによる荷役

時間があったのでターミナルの屋上に上がって荷役風景をしばし観察した。
デリッククレーンを巧みに扱いコンテナを積み下ろす様はガントリークレーンのそれとは違った趣があり、また何よりデリッククレーンを動かして荷役を行う様を今まで見たことがなかった身としては、今でもこんな荷役をやってるんだというある種の感動すら覚えるのであった。

なによりこんなの残ってても沖縄や奄美とかの離島航路くらいやろと思っていたものが東京港で見られるとなったらそれはもう。もっと早く関心を持っておくべきだった。

 

この後は普通に浜松町駅まで歩いて帰った。
高まっていたので帰り際に鬼レモンを買い優勝していたのはまた別の話である。