読者諸兄の皆々様におかれましては、ブログというのはどういう位置づけにあるのかわかりかねるものではありますが、書いてる側である自分にとってブログというのは至極面倒くさいものであります。Twitterがミニブログと紹介されることもあることを鑑みれば、毎時一回くらいはブログを更新しているブログ廃人みたいなことになりかねないのですが、ことSNSに限りなく近い何かであるTwitterとブログの間には、タイトルを付けるか否かという圧倒的な差が存在するわけです。この差は非常に大きいもので、これがブログとTwitterの大きな差異として横たわってくるわけです。なにせ、タイトルを付けなければならないということは、タイトルだけ浮かんで付けたは良いけど中身がまっさらとか、本文はいい感じになったけどタイトルがアレだからアクセス数が稼げないとか、そういうことが起こりうるわけです。はい。
今回はそんなタイトルについての一考察について多分書きます。多分というのは、これが今書いてる最中で下に余白が横たわっているのであくまで推論で書いてるわけであって、中身が無いとかそういうことではないはずです。たぶん。
さて皆様、タイトルだけ浮かんでブログの記事を書き始めたは良いけど続かないという経験はありませんか?ありますよね?きっとあるはずです。ブログに限らず、何か書き始める時にタイトルや小見出しだけは決まるけどその先はさっぱりなんてのはよくあることでしょう。そう考えると何も考えずに大脳新皮質に溜まったクソを吐き出すがごとくリバティーな感じで短い文字列を垂れ流せるTwitterというツールの素晴らしさが光るわけです。はい。
というわけで、今回はまずタイトルオチで落としてしまったタイトルを紹介して、その後に軽い考察を行いたいと思います。
1.生まれの過ち学
生まれの過ちについて考察しようと思ったけども考えてた以上に重いテーマだったのでアレみがアレしてアレだった。
2.男は家事をするのか
思いの外一般化が難しいテーマで詰んだ。
ここから伺えるのは、一般化の筋道が必要になるであろう記事について一般化の筋道を立てずに書こうとすると詰むことが導かれます(母数2から推測しようとするガバガバ一般化おじさん)。むしろ今まで正解したネタと言いますと、
3.ウイスキーを水でなくウォッカで割ったら案外イケるのでは?
ということから、何れも主観のみでゴリ押しできることが伺えますね?(サンプル数3で一般化しようとするガバガバ理系の鑑)
というわけで、今後は主観でゴリ押しできるタイトルから記事を練成していこうと思いました(小並感)(緩い決意)(低い意識)(クチャクチャ)(コーナーで差をつけろ)(俊足)