旭駅本屋

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崩壊スターレイル

こんな場末のブログに崩壊スターレイルのまともなレビュー記事を期待して来る人もおるまい。本記事で取り上げるべきことはただ一つ。

 

どの程度鉄道描写がしっかりしているかである。

 

 

 

 

 

端的に申し上げると崩壊スターレイルの鉄道描写はかなり雑い。

鉄オタというもの、大概鉄道描写が出てくるとロケ地があるところは特定を始めモデルがあるところはストリートビューWikipediaを開きながら推定し定型化されたエモロケーションなどは特徴から秒で特定するような狂人の集まりであることは言うまでもないが、それはそれとしてガバガバ描写を数倍見ているので余裕が違う。そんじょそこらの描写の甘さをもって雑とまで言い切るほど人間出来ていないわけではない。この機関車も一見それっぽくて重厚感あって「まあこんなもんじゃね」感を覚える。しかし甘い。こいつの問題はそこではないのだ。

 

ありがち重厚感客車。いろいろと言いたいことはあるが今回はグッと抑えて「まあゲームに出てくる鉄道なんてこんなもんよな」の心意気で前向きに評価し乗り込む。

 

 

乗降扉ってガリバートンネルだったんかな?の心持になる。

そう。本質的に何もかもが整合性が取れていないのだ。

 

 

そして筆者は思った。ゲームに公共交通機関というものは必要ないのだ。

公共交通機関というもの、歩くよりも早く目的地にたどり着けるから重宝するのであって、ワープポイントがそこら辺にうじゃうじゃあるようなゲームでマトモな活路が出てくるわけなどない。そして、それ以上に根深い本質的な問題はやはり3DCGゲームというものは土地に制約がないのだ。土地に制約がないから都市は自由に創ることができ、建物は自由に配置ができるし、何なら別のオブジェクトとして分離すれば建物の大きさに縛られることなく部屋を作れる。農村も好きな土地に自由に作れるし、都市と農村のアクセスはまあまあ適当に考えられる。本来起こるべき流動、農村から街に足りないものを買いに、街は街で農村に農林水産物を求めに行く流れがまるで出来ないのである。であればそれは勿論公共交通機関など出る幕もないのだ。そうなってくると矢張り象徴的な存在として出す以上の役割はなくなってくるのであろう。

兎にも角にも、ゲームではスペースの制約がないのだ。外観は狭く、中身は広く、あたかも四次元ポケットのような空間が実現できてしまう。そちらのほうが都合が良いことも多いだろう。一等車とてそう広いわけではない。実際にそれっぽく作れば作るほど、できない表現は増え不都合も大きくなっていくのだろう。実際スターレイルのラウンジカーよろしく鯨の照明なんぞを天井に配することは難しくなってくると思う。実際の縮尺に合せると、小型の照明にするなり、ダブルルーフの飾り窓にするなり工夫が必要になってくると思う。そしてその労力をかける割にはおそらく目立たないのだ。

 

 

 

このゲームでは、ベログラードという町でも鉄道は象徴的に扱われている。見た目は重厚感あって嫌いではないが、まあ、いろいろと突っ込みどころはある。あるが、やはりそれ以前の問題だ。ドア開閉のモーションまで作りこんであるのに当然のように乗ることはできない。乗らせてくれ。レールとか名乗っとるんだからもう少し乗せてくれてもいいだろ。

 

 

ちなみにベログラードにはもう一つ鉄道がある。それがこれ、ケーブルカーだ。皆ケーブルカーと言っているんだからこれはケーブルカーで間違いない。最早ここまでくるとツッコミ待ちなのかと疑ってしまう。

ちなみにケーブルカーは下層部へのショートカットリンクが張ってあり、触れると何事もなかったかのように下層部に飛ばされる。いや、乗せてくれ。

 

 

そして次の星仙舟だが、今のところ鉄道要素は皆無である。

 

そう、つまるところ、要するにだ、このゲームに鉄道を期待してはいけないということなのだ。

そういう人はJR東日本トレインシミュレーターなり、STATIONflowなり、シムトランスなり、いい感じのゲームを探してやるべきなのだ。多くを求めてはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしタイトルがスターレイルなんだからもう少しモチーフを大切にして貰ってもバチ当たらんと思うでと思うのは筆者が鉄道の宅だからなのであろう。