旭駅本屋

SNSが普及しきった今日において、人々はなぜブログを使うのであろうか。

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三連休(4)

これを見て、思うことは無いだろうか?

 

筆者はある。

 

去年と同じだ、と。

 

ithikawa.hatenablog.com

 

去年と同じだった。何もかもが同じだった。シルバーティアラに乗ることも、2等寝台Aを選んだこともそう。2階に通されたことも、売店で歯ブラシを買ったことだってそうだ。そして船内でPALMビールを飲んだことも。最早間違い探しだ。然し違ったことがある。八戸フェリーターミナルが新しくなっていたのだ。デッキから見る真新しいボーディングブリッジとその先のターミナルは小さいながらも存在感を醸し出していた。

そして、徒歩下船客の多さだ。

あり得ん多かった。

シルバーフェリーを使うのは三度目だろうか。たいていフェリーというのは車かバイクで来るものであって、徒歩でわざわざ使う奴は少ないと思っていた。熊本フェリーでは乗り継ぎのバスに筆者一人乗って終わった記憶がある。なんならオーシャン東九フェリーに至っては船員さんから連絡乗車券を買って手配されたのはクラウンだ。勿論乗客は一人。阪九フェリーは例外的に多かったが、概ねそういうものだと思っていた。冬の北海道は閑散期だというのもある。然し実際のところそんなことは無いようだ。むしろここまで多いとバスに乗りきれるのか流石に不安になってくる。

 

ターミナルは新しかった。何度か使った古いターミナルの記憶は往時の眠気もあってか最早朧げにしか思い出せない。こんな感じではなかったということはわかるが、どんな感じだったかというのがそこまで出てこないものだ。何事もそういうものかもしれない。

そこかしこにお祝いの花が置かれている辺りに新築だということが伝わってくる。

yoyaku.silverferry.jp

最近Twitterで見たけどどんなもんだったかと調べたら概ね一週間前に開業したらしい。そら新しいわけだ。

 

 

盛岡に向かうだけなら高速バスで良かったことに気が付いたのは盛岡行の高速バスを見たときであった。切符は買っていたので最早後の祭りである。
中心街行の連絡バスは高速バスの後に出る。高速バスが出た後も結構並んでいたのでちょっと不安だったが、なんとか座ることが出来た。なんとか座ることが出来たということから察することが出来るように、まあまあ席は埋まっていた。なんならあきらめて立ってる人までいる。連絡バスがこんなに盛況なのは初めてだった。

 

八戸線に乗り、八戸に出る。朝食に調理パンを1つ食べていたが流石に足りないので、列車に乗る前に駅弁を買った。買ったのは三八弁当。2020年 駅弁味の陣の味覚賞を取っている実力派の駅弁である。買ってから思い出したが去年もこれを食べた気がする。去年はワタのタレをかけて食うべしと書いてあることに食後に気が付き悲しみに暮れていたが、今年はさすがに覚えていたのでタレを掛けてから食った。相変わらず美味かった。

 

 

去年と同じような時間に盛岡に着いた。

去年は農業教育資料館を見たが、今年は城の東の方を見に行こうと思う。

 

 

幾つか観光地を回って、あさ開の直売所に来ていた。

あさ開は名前を聞いたことのある銘柄である。たいてい素人が名前を聞いたことのあるくらいの蔵は超有名どころなのだ。盛岡市内に蔵があるのは知らなかった上、丁度行きたいところの先にあるということなので来ていた。直売所というだけあって、ここ限定と書かれた酒が幾つか並んでいた。福袋と題して余った在庫を詰めたセットもあった。値段に惹かれたが一升瓶を買っても冷蔵庫に入らないため流石にパスした。

幾つかほしいのはあったが、そうは言っても運ぶのが手間なので二本にした。

https://twitter.com/ithikawa_asahi/status/1756868897649963253

駅に戻るついでに盛岡バスセンターに寄りつつ、白龍の列を見てきた。本店が混んでいるのは納得だった。川徳まで混んでいたのでここで飯のアテを探す必要があることに気が付いたのである。

冷麺は何回も来ているものの食ってないので食うかと思ったはいいが、有名どころは大体駅から離れているか混んでいた。ダメ元でぴょんぴょん舎を覗いてみたが、案の定ダメだった。やむなしと地下を歩いて駅に向かうと、都合よく列のない冷麺の店を見つけた。寿々苑というらしい。別に悪くはなさそうだったのでここにした。

 

冷麺はまあまあ美味かった。まあまあ美味い冷麺を食うことで気が付くのである。冷麺自体あまり筆者の好みの方向ではない可能性に。白龍しか食べたことが無いことも相まって、今後はジャージャー麵の開拓をしていきたいと思うものであった。

 

 

やまびこに乗った。やまびこはケチにも優しい。勿論乗ったのはケチだからというだけではない。

 

 

郡山に来ていた。こういう時に普段いかない街に行くべきなのだ。郡山は普段来ない。だから来ていた。

難儀しつつコインロッカーに荷物を預け、観光案内所で地図をもらい、街を歩いた。

ところで、郡山の観光地を見て思うことは無いだろうか。筆者はあった。遠いのだ。

めぼしい観光地は概ね開成山一帯に固まっている。駅との丁度中間くらいに郡山公会堂がある。然し開成山が中心市街地かというと多分そんなことはないのだ。歓楽街は駅の方にあり、百貨店のうすいも駅前にある。何なら旧4号は駅のすぐ近くを通っている。そんな旧4号の目の前には安積国造神社があり、遷座している可能性も無くもないが、恐らくこちらの方が鉄道が通る前の古くからの市街地なのではないかと思う。

安積疎水というものを聞いたことがある読者も多いだろう。郡山盆地は元々耕作に向いていない土地だったという。そこを安積疎水で導水することで、一面の原野を開拓したのである。開成山というのも中々読んでみてみれば不思議な地名だ。瑞祥地名と言われても不思議ではない。まるで開拓地のシンボルであるような地名ではないかと思えてくるものだ。そう捉えてみてみれば、郡山盆地にあった元からの市街地たる駅前と、開成山周辺の開拓地の両方に集住していたものが、徐々に間がつながりつつ拡大していったようにも見えてくる。多分こういう話は博物館の展示の一つにあると思うのだが、あいにく筆者は時間がなく見れていないので答え合わせが出来ていない。いつかできる日が来ることを願いたいものだ。

都市圏という言葉がある。都市を見るには雇用都市圏を見るべきというのはよく言われるものだ。だが筆者はあまり好きではない。マクロでみるべき領域とミクロで見るべき領域は当然双方あるのだ。ミクロで見るべき部分までマクロでいるべきではない。そこにある同じ街がいつから同じ街かという点も考えて街を歩くとまた別の視点が出てくるというものである。たいていのものには理由はなく、単なる合理であることが殆どだ。ではその合理はどこから出てきたのかというと、大概当時使えた技術が背景にあったりする。導水が出来なければ人は住めないが、どう導水できるかは時代によって変わってくる。モノを運べなければ人は住めないが、どう運べるかも時代で変わる。街や土地利用の変遷というもの、歴史と当時使えた技術を学んでだんだんわかってくることのような気もする。学んで、歩いて、そこからさらに学んで、そうしていくことでだんだん変なことが目に付くようになって、段々街歩きが楽しくなってくるのかもしれない。

 

 

遠いし別にいいかなと若干思いつつあったがここまで来たのに行かないのもどうかという理由で郡山公会堂に来ていた。郡山公会堂はカッコよかった。矢張りこの時代の建物は良い。地図には営業時間が書かれていたが、特に公開していますともしていませんとも書いていなかったので中を見せてくれるかはよくわからなかった。入口に守衛室があるなら別だが、ここはおそらく中央公民館の方で全部受付や事務手続きを済ませているのだろう。誰も居ないようであり、中は暗かった。受付で見せてくれないものですかねと聞いてみれば開けてくれそうな気もしないでもなかったが、そこまでして見せてもらう程の時間も取っていなかったので今回は見送ることにした。いつか確認取ったうえで見に行きたいところだ。

 

 

歩いて駅前に向かった。

目的はうすいに行くためである。

うすいは地場系百貨店である。地場系にしてはまあまあ大き目である。前回はゆっくり見れなかったのでゆっくり上から下まで見ていた。加えて当然のように地下で日本酒を見ていた。立春に絞った日本酒というものもあった。去年も見たし、なんなら買って帰った気がする。今年はさすがにと普通に棚を眺め、気になった酒を2本買った。一本はロ万で、これが普通に買えるだけでもここまで来た甲斐があるというものだ。

 

 

一升六合は重い。

誰かのせいにしたいが、自分の顔しか思い浮かばない。

重さにやられながら、暗くなる車窓を眺めて家路についた。