読んだ。そして思った。
こいつは本当に都民だったのかと。
筆者は新宿区で生まれ埼玉県に越しその後長らく神奈川県で暮らしたマンである。この記事を読んで思ったのは、率直にこいつはホンマに都民だったのかというところだ。
少なくとも新宿区は貧乏人がわりかし多い。歩いて石を投げれば貧乏人に当たることだろう。四谷区なら三大貧民窟でお馴染み超有名な鮫河橋がある。牛込区は微妙なものの別に貧乏人がいないというわけでもない。淀橋区は出歩けば貧乏人がPOPすることだろう。本来新宿区というものは東京市内でも割と貧乏人が多いところなのだ。そこで生まれ、そこに疎とはいえ地縁があるなら見ているはずなのだ。
しかし、そんなことは気が付かないし気にもとめない。
それが、この手の都会民の本質なのだ。
余談になるが、筆者はわりと旅行する方である。旅行先でドヤを引くこともあれば連れ込み宿を引くこともある。引いたときは素直に「外したなー」となるのだが、まあまあ外したときは外したなりに経験が増えるものである。
閑話休題。
筆者の高校時代の友人に「市内はおろか区内からろくに出たことが今までない」という奴がいた。高校は実家と同じ区内で、親の実家も区内なので特に他所に行く理由がないというものだ。区内でも沿岸部はエスニックで異文化交流が出来るようなところではあったものの、そいつは山の手側なので異文化交流の機会もない。近隣は第一種低層住宅専用地域と第二種中高層住宅専用地域。そうなると、そこで留まり暮らすと恐らく他の世界には貧乏人が居るということは想像もつかないだろう。ちなみに筆者も第一種低層住宅専用地域にも同じように人間が住んでいることは想像もできない。だってあそこスーパー存在できないやんどうやって日用品仕入れるんや。
そういう人たちが、大学に進学して地方の進学校や自称進学校の神童と戯れ、現実世界の広さに初めて気がつくのかもしれない。大学は試験さえ受かれば誰でも入れる。かつ、ネームバリューがそこそこあれば地縁血縁も関係なく色々な人間と関わることが出来るようになるためだ。
ちなみに、ここで現実世界の広さに気が付かず、狭い社会の中で完結して生きていく選択をした市民を指す言葉に「マイルドヤンキー」というものがある。この著者と、彼らマイルドヤンキーの差異は、どこを生活の生業としていたかというだけの差でしかないと筆者は思うものである。
つまるところ、この著者も単なる「自分の生活範囲数キロもろくに知らない田舎者」でしかなかったのではないかと思うものである。