旭駅本屋

SNSが普及しきった今日において、人々はなぜブログを使うのであろうか。

お後がまたよろしくて

 お先も前もよろしくね

 

 ちなみに、これもう5年も前の話らしいですね*1。俺も歳を食ったもんだなぁ……。

 

 というわけでですね、オルソンブログ*2に触発されお笑いにほんの少しばかり興味を持ったので、巡礼も兼ねて新宿は末広亭へと参ったのであります。まあ、だいたいりょう氏に誘われたのが原因なわけではありますが。

 

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 さて、じょしらくの聖地としても著名なこの新宿末広亭では、なんと深夜に寄席が1000円で見られるのです。なんと素晴らしいことか。価格もあって激パだと知り合いから聞いていたこともあり恐る恐るといった感じで向かったものの、一体全体何を危惧していたんだと言わんばかりの人の入り用でありました。上手いこと場内満場とは行かないものであるようで。尤もこの日は豪雨というのもあったので多分大体大方そのせいだとは思います。

 

 ちなみに、筆者は落語は人生二度目であります。落語童貞を棄てたのは確か町内会の落語会でありまして、題目は目黒のさんまだったように記憶しております。しかしかれこれ十年も前の話。よく覚えているわけでもないので実質落語童貞なわけであります。

 さて、そんな落語童貞ではありますが、深夜寄席で4席程拝見してあることに気がついたのであります。そう落語は芸人のお笑いとは異なり型があるのであります。確かに芸人の芸に型が全く無いかと言われるとそんなこともなく、ある程度類型化出来るものでありますが、こと落語は型がキッチリ決まっているのであります。なので同じ話であればだいたいどの人のを聞いても段取りと中身は似たようなものになるのであります(暴論)。しかし同じものになるかというとそういうわけでもないわけであります。なんせ話の大筋とは別のところで個々の噺家は個性を打ち出してくるからであります。芸風というものが内容ではなく小筋で決まってくるのがお笑い芸人と落語家の大きな違いというものではないかと思う次第であります。

 型と言いましても詳しいのでなければさっぱりわからないと思うので、ここで軽く説明したいと思いまつ。流石にこのブログを読んでいる人に落語ガチ勢はいないと思うのでここで幾らガセを吹聴してもバレることはないとは思いますが、ガセを吹聴したところで面白くもなんともならないので4席見て思ったことを書いていきましょう。

 まず、落語は導入から始まります。せっかちなホモは秒で話に入り始めますが大方は導入から入るものです。この導入は大凡日常系のようなノリで話が進んでいきます。きららの日常系みたいなノリです。日常ネタかどうかは保証致しかねます。

 そして、導入が終わるとなんと脱ぎ始めます。ストリップではないので脱ぐのは羽織だけです。そして羽織を脱いだところで話が始まるわけであります。ところでなんで羽織を脱ぐんですかねぇ……。

 さて、この話ですがそこまで面白いかと言われると微妙です。何せ長い。フリとボケというわけでもなく話こそオチが付くものの巧いのであり面白いオチではないわけであります。まあ面白いんですが。巧く纏まってるな感が強すぎて自分のような社会の底辺を生きる人間にとっては高尚過ぎるのでありました。

 しかし話の中にちょくちょく挟まれる本筋ではない小話は面白いものがあります。「~といえば」などと話を展開させるような素振りを見せながらしっかりとオチまで付いている纏まった一つ小話であります。どちらかというと落語は本筋の話よりもこの小話の方が重要なのでは。

 そして最後にオチをビシっとキメて一礼し、座布団をひっくり返して袖に抜けるのであります。ところでなんで座布団ひっくり返すんですかねぇ。

 

 という感じでありまして、そんな感じで型の中で変えられる導入と小話でいかに差を付け観客を惹きつけていくかというのが落語家の腕の見せどころなのでしょう。多分。なので同じ笑いといえどお笑い芸人的な笑いとは相当異なる趣向の代物であります。やまあ面白いんですがね。寄席では酒をキメない限りは飲食自由というのも好い点であり、尚且つ観客と一体となってその時々に応じてネタを披露してくれるという点が非常に面白い点ではあります。その時々に応じて時事のネタを挟んでいける点は、ある任意のショートコントを披露するしか無いお笑い芸人的な笑いとは違うタイプの自由さがあるように思うものであります。や、だってお笑い芸人さん観客席にむかって「お口開けて下さーい」とか言わないし「今日はお客さん少ないですねぇ。いや、後ろを見ないで良いんです。前だけ見てれば。私だけ見ていれば良いんです」なんて言わないし言う由も無いでしょう。そういうところは落語の良さであり自由度の高さだと思います。

 落語は型がしっかりしていると言いましても大筋だけでありまして、もしやするとシナリオという型に嵌っている芸人の笑いのほうがひょっとすると自由度が低いのかもしれない、とも思った次第であります。

 ただ面白さは自由度で決まるわけでもないですし、どっちも面白いしどっちかというと落語家の引き出しの広さだけ見られる大喜利が一番面白いかもしれない(戦争の火種を振りまいていく)。

 

 さて、お後はよろしくないようですが、書くのも疲れてきたのでここでお話を締めさせていただきたいと思います。

 

ちん・とん・ちん・とん・しゃん 場内満場 いよ~っ

*1:なんだかよくわからなかった人はじょしらくで検索しような

*2:オルソンブログ