旭駅本屋

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令和4年度ラッセル撮影事業(3)

エーデルワイス  エーデルワイス

可愛い花よ

白い梅雨に濡れて咲く花

 

朝の時報のチャイムで健康的な朝を迎えた。

人間4人の熱量は結構なものだから、ストーブは消して寝るべきだろうと言い寝たはよかったものの、それなりに冷えていた。流石にダイヤモンドダストが見られる土地なだけはある。都市ガスで炊くストーブはフルか半しか出力が選べず、半でもすこぶる熱いので付けるべきだったかは議論の余地があった。そうはいってもこれは四人旅だからこそで、一人か二人なら躊躇なく付けたほうが良いと思う。

昨晩朝風呂でもと言っていた気もしたが、まるで誰も起きず、皆布団に丸まり芋虫になっていた。

 

 

スマホのアラームが8時に鳴る。

本来想定していた起床時刻である。

窓を開けて新鮮な空気をと開こうとしたものの、二重窓の外側は結露でバキバキに凍っており、とても開けそうになかった。下には溜まった湿気が数センチくらいの氷の塊になっている。ガシガシ叩くもガラスまで持っていかれそうで、熱で溶かそうにも量が量なのでどうにも歯が立たなかった。

 

宿飯なので朝食会場で飯を食っていた。我々は米びつを空にしてフードロスを達成していた。

今日は追っかけである。当初想定では雄信内で一回、その後音威子府で一回撮影の予定だ。

 

雄信内俯瞰はまあまあギリギリにたどり着いた。冬の雪山は何度登っても苦手なものだ。靴が丸々埋もれる程度に積もった雪はただでさえ歩きづらく、加えて厚着でまんべんなく動きづらい。これに傾斜があるのだから、踏み抜かないかどうかと滑らないかどうか、双方気を配りながら進まねばならぬ。動きづらいということは即ちそれだけ無駄に体力を使っているということに他ならず、多少登っただけでも暑いくらいなってしまう。本来的には休み休み行くべきではあるのだが、目的があってダラダラしてると後ろから追っかけが供給される具合なのでそうもいかない。難儀なものである。

 

撮影地ですでに待っている宅らは上の方に陣取っていた。後から来る人が手前に来るものと分かりきっているのかもしれない。我々は体よく手前に滑り込んだ。

 

 

10分ほどすると、赤い車体が遠くに見えた。

 

 

俯瞰してもわかる程度には雪をかいていた。

まあまあの戦果だった。

 

とっとと降りろと収納に急かされ、外していた手袋をはめる暇もなく滑るように山を駆け下りていた。収納含め三人は大分引き離されていた。手袋くらいは付けても許されていた気がした。

 

40号をひたすら南下した。

音威子府着はまあまあ早かったらしい。我々以外誰も居なかった。我々はロケハンをし、氷を砕き、雪を均し、踏み硬め、高くなっている部分を削って整地をしていた。雪とは言うが半分くらいは氷だった。積もって溶けて凍ってのサイクルを回し続けているのだろう。

まあまあ膀胱がアレになってきたので、トイレに行っておきたいと言った。

「今、太古の達人で例えるとどれくらいですか?」

「魂が光り始めたくらいやな。まだ耐えられないことはない」

「なるほど」

代わる代わる国道沿いのセイコーマートで排尿と買い物をしていた。

12時が近づくと人が増えてくる。追っかけだろう。ラッセルは12時過ぎくらいに音威子府を出る。だんだんと人が増えてヒリついてくる。

定刻を過ぎた。過ぎてしばらくした。皆時計を見ては首をかしげていた。「信号変わるはずだよな?」と誰かが言っていたので駅の方を見るもオレンジから変わらなかった。

ラッセル抑止だってよ」

車に乗った謎の有志が我々撮影者一同にそう伝えてきた。豊清水で除雪車が立ち往生しているんで暫く抑止、いつ再開するかもわからない。そう言っていた。全体的に撤収ムードになっていた。

ほとんどの人はゲバを畳んでは車に積んで次の撮影地へと向かっていった。我々は当然のようにベストポジションに陣取り、ダイヤグラムWikipediaと格闘していた。

善後策をあれこれ検討していると、急にミニパトがやって来て、止まった。

またオレ何かやっちゃいました?というオーラを纏う4人であったが、車の主は何故か一緒に乗ってきていた一般の人っぽい人と「もう全然いないね」「情報入ってきているのかな」と言っていた。多分思っているのと違うっぽい。

撮影に当たっての注意事項を一通りと、今列車が遅れてるから気をつけてねと言われ、地元の人からは手土産を頂いた。手土産曰く、車は向きを一方向にして並べて止めるべし、線路敷に近寄りすぎない、地元で何か買っていくべし(給油でも良い)とのことであった。概ね好意的っぽかった。一同は我々以外に粘っていたもう1グループにも渡し、記念撮影をして帰っていった。

収納が「そういえば東恵橋でも交通整理していましたよね」と、去年のことを思い出して言っていた。あれも向きが揃っていない車を回頭させるように指示していたんだった。向きは追っかけが抜ける側が優先で考えておけば大抵間違えない。追っかけだからと後先考えず首だけ突っ込んで入る狂人も居るが、そういう人が基本的にやられるのだ。

さて、雪362レ以降想定される列車は4326Dまでない。4326Dの次は6064D、61Dの順に来る。4326Dが名寄まで先に行って、61Dが入れ替わりやって来るのだ。基本的に特急優先、なので定刻で来るのであれば4326Dは定時で出して、名寄まで逃げ切るようにスジを引くはずだ。

時刻は13時を過ぎた。かれこれ二時間は待っていた。このポイントでは、ラッセルはおろか何も撮れていなかった。

4326Dは定刻では来なかった。大方音威子府で抑止がかかっているのだろう。これはもうわからんねと言っていると、急に列車がやってきた。

 

 

 

キハ54は全く雪を撥ねていなかった。というか線路が見える。これでは待っても回雪だろう。せめてスノープロウで押しのけていれば。

 

4326Dは約10分遅だった。

 

「これが美深まで行ったらラッセルが出せますかね」

「豊清水で交換できるから、豊清水まで行ったら出るだろう」

「豊清水定刻何時ですか?」

「13時半」

「もう来るじゃん」

 

「来た」

 

筆者はスマホを雪に投げてカメラの電源を入れた。

 

 

想定の数倍雪を撥ねていた。

2時間待って、計画も何もかもが壊れたが、それでもなお粘ってよかった。

快晴でここまで雪を跳ね除けることは本当に珍しいのだ。

「すげ」と、小学生並みの語彙力で暫く会話していた。

あと最近のカメラはマジでAF性能高いのすごいと思う。これだけ撮っても大抵ちゃんとピンが合ってるのは本当にすごい。合掌。

何もかもがすべて上手くいっていた。予定以外は。それはもう何も上手くいっていない気もしないでもないが。