旭駅本屋

SNSが普及しきった今日において、人々はなぜブログを使うのであろうか。

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くりでん*とりっぷ

 

2007年3月31日。忘れもしない日だ。

あの日、筆者は石岡と鉾田を無限に往復していた。

鹿島鉄道鹿島鉄道線の最終運転日だった。

 

そして、くりはら田園鉄道西鉄宮地岳線の最終運転日でもあった。

 

 

筆者らは栗原市くりこま高原駅に来ていた。

初恋れ~る*とりっぷの企画展をやっているというので、来るほかなかったのだ。もともと会期は数ヶ月あったのだが、完全に忘れており、最後の三連休になんとか滑り込みセーフを決めたというグダグタっぷりであった。

駅前からバスに乗り、若柳を目指す。若柳はくりでんの拠点駅であったところだ。駅と工場の一部が保存され、ミュージアムになっていたりするらしい。そしてそのミュージアムでコラボイベントをやっているということであった。

 

 

小雨降る中、我々はミュージアムをガン無視して若柳駅に吸い込まれていった。若柳駅舎を見ながら我々はKATOだだのTOMIXだのと言っていた。ちなみに、どちらかといえばKATOだった。

 

 

くりでんはくりはら田園鉄道の略だと思っていた時代は実のところ結構長かったのだが、栗原電鉄の略でもあったんだなというのに気がついたのは廃止から結構経ったあとのことだった。くりでんは長らく電気鉄道として石越から栗原鉱山までを結んでいたのだが、経営が厳しくなってからというもの、電気設備を廃止して気動車を走らせるようになったのである。名前も一新して頑張っていたものの、というところらしい。

電車用の高床ホームと荷物用の低床ホームの混在する駅が駅部だけでも比較的当時のまま残っており、昔日の中小私鉄ってどこもこんな感じだったよなぁと感傷に浸っていた。

 

30分くらい若柳駅を徘徊してやっとくりでんミュージアムにたどり着いた。基本的にオタクはメインディッシュまでが長い。

 

くりでんは廃止になるとわかっていながらも乗りに行けずに終わってしまった路線であった。筆者はせめてもともう一方の鹿島鉄道は乗りに行った。関東圏で近かったというのもある。しかし実際のところ、LE-DCと元キハ07や元加越能鉄道や元夕張鉄道気動車を比較してLE-DCに乗りに行けるかというと微妙である。どっちかしか行けないと言われたら今でも鹿島鉄道を選択すると思う。然しそうであるからといえ、乗れなかったという後悔が無いかといえばそういうわけでもない。

出来れば電車が動いてた頃に来たかったものだが、流石にそればかりは年齢的に難しいのでね。

 

くりでんミュージアムは工場だった敷地を保存しているエリアと色々当時の品々を保存展示しているエリアに大別される。我々は工場跡地をおおよそ一時間ほど観覧した。

中の展示は工場に比してインパクトは大きくないが、栗原鉱山の最盛期から徐々に傾いていく経営となんとか規模縮小で乗り切ろうとする悲しい歴史や、駅や保線の業務の話だったり、結構大きめなジオラマだったりと、色々とパネルを主軸に展示されていた。中でも職員数の推移は目を見張るものがあり、これでは保線もろくに出来なかったのではないかと話していた。似たような状況に心当たりのある第三セクターが現存しているが、まあ、あちらはなんとかしているのだろう。多分。

展示の先が入口である。入口付近では記念の映画的なものも流れていた。案の定というか、ここまで揺れることある?と思えるくらいに有り得ん揺れていた。あれでは仮に補助金があったところで長く持たなかった気がしないでもない。

 

 

くりでんミュージアムを出たのが14時半くらいだった。飯でも食うかと駅前を徘徊するも飯屋を見つけることも出来ず、無を過ごしていた。ミニストップあるし最悪イートインで良いのでは?と言っていたところで目の前に仙台行きの高速バスのバス停が生えていた。仙台行きの高速バスがあるというのは初耳であった。見れば14:51にバスが出るという。うだうだしていたこともあり、バスまで10分になっていた。全会一致で仙台駅に行くことが決まった。仙台であればこの時間でも飯にありつけるだろう。都会は時間間隔がズレている人にも優しいものだ。

 

16時前くらいに仙台駅前のさくら野に放り出された。何を食うべきかで暫く迷い、結局エスタの地下で牛タンを食うことになった。まあ美味しいし、仙台だし。

冷静に今思い出すとせっかく仙台に行ったのにずんだシェイク食うの忘れた。

 

 

牛タンを食い、くりでんミュージアムで見たコラボ先のヨドバシと喜久屋書店に行くことになった。ヨドバシは前にも行ったことがある。比較的広めのコーナで特集していたと記憶していた。記憶していたのだが、なんか記憶よりディスプレイがすんごいことになっていた。ぜひ仙台に行った識者は見に行ってほしいところである。くりでんミュージアムでコラボイベントをやっているからと、なぜかビコムのくりでんの前面展望映像を垂れ流していた。確かに映像ソフトコーナーだけれども……チョイスは本当にそれでええんか?ちなみに前面展望のはずなのに有り得ん揺れていた。本当に保線は大分がたが来ていたのかもしれない。一時は4班体制で出来を争っていたとまで書かれていたというのに。マンパワーでどうにかなるものも人が居なければどうにもならないということを痛感させられる。

ちなみにヨドバシの癒着コラボコーナは単行本のタイトルっぽいロゴが描かれていると見せかけて月刊誌版のが割合出てきたりする。謎の拘りだ。個人的には月刊誌版のロゴも好きなので載せてもらえるのはなんとなく嬉しい。

 

ヨドバシの一コーナに暫く圧倒されていたが、喜久屋書店も見なければならない。我々は綺羅びやかな東西自由通路を通り、オタクビルへと向かった。喜久屋書店の入っているオタクビルはカードショップやメイトも入っている典型的な地方都市オタクビルである。ちなみにメロブは魚臭いビルに隔離されているのでここにはない。

喜久屋書店のコーナは淀ほど大きくないものの、描き下ろしの4コマがあったりして中々それは相応に見応えがあった。配本の都合か、鉄道系書籍のラインナップが微妙みあるのが微妙ではあるが、本屋よりも取次のほうが強いっぽいのでここはまあどうしようもないのだろう。あと棚上のサイン色紙がやばくてやばかった。

この後は後輩が買いたい本の在庫があったからとメロブに行き、適当にやまびこで帰ったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところでまひろ先生を連載開始時の2018年時点で23~26歳と仮定すると、1992~1995生まれとなるわけで、だいたい筆者と同じくらいの年齢層になるわけです。そう考えると、まひろ先生はもしかしたらどうにか乗りに行けるかなくらいのところでくりでんが廃線になっていたりして、なんとか廃線前に滑り込みセーフで乗っていたり、あるいは最終日に行って乗っていたりするかもしれない、と考えるとなんかこう、面白いですよね。しかし冷静に考えるとそんなんだったらもう少しくりでんミュージアムでテンション上がってると思う。なので多分違うんだと思うもののどうなんでしょう。

連載終わって単行本も読み返すこともしばらくなかったので、久々に読み返してみようと思うのでありました。