旭駅本屋

SNSが普及しきった今日において、人々はなぜブログを使うのであろうか。

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残り物にはフクキタル

 

前日のあらすじ

初恋れ~るとりっぷの巡礼に、コラボイベント中のくりでんミュージアムを訪れた筆者ら。その後高速バスで仙台に向かい、ヨドバシと喜久屋書店のコラボを見ていた。週末パスで来ていた筆者は南東北でどこかに泊まって福島県でも観光しようかと思っていたものの、三連休はそれを許さず、日帰りで家に帰ることになったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

筆者は悩んでいた。週末パスが一日分余ったのだ。どこへ行くべきかを悩んでいた。

実際問題元は取れているので別に頑張って使う必要はないが、実質無料なので使わない手はない。ここで悩んでいた。運賃的に伊豆に行くのも良いかもしれない。しかし台風が来ていた。経路上はあまり良くはないだろう。諏訪に行き、片倉館の千人風呂に入るのも良いかもしれない。しかし中央線はもし万が一止まった場合どう頑張っても帰れなくなる。中央線は貧弱であり、中央道は軟弱である。笹子峠は天然の要害とも言える急峻な地形であり、陸上兵力で首都圏に攻め入るのであればかなり苦戦しそうだといつも思う。そんな地形であるからこそ迂回路などあるはずもなく、あったとて満足に機能するわけもなく、一度天災など起ころうものなら全てが無になる可能性が高いのである。であるからして、笹子峠を超えるのは避けたかった。然しこれは在来線だから貧弱である可能性もあった。幾ら急峻な峠であろうと新幹線であればまだ超えて帰れる可能性もありそうなものだ。尚且つ新幹線ならば座席数も多く、早く、楽に帰れる。なので新幹線で行けるところに行きたい。ここまで考えて、筆者は大宮へと向かった。

週末パスで乗れる新幹線は3つに分けられる。東北新幹線上越新幹線北陸新幹線、この3つだ。東北新幹線は昨日乗った。東北でいい宿があればなんなら今日は東北観光をしていたはずだった。なので癪なのでパスする。上越新幹線は魅力的だ。本数が多く近い。しかし特にやりたいことが浮かばなかった。越後湯沢は 比較的最近行った し、新潟や新津 もそうだった。そうだったので特に機運は高まらなかった。消去法で北陸が残った。北陸はまあ、確かに未履修な部分は多いかもしれない。なんなら長野でワンチャン塩尻駅弁のカワカミのとりめしが買えれば良いかもしれないとか思っていた。ここで長野に行くことが内定したのである。

北陸新幹線で良い行き先は無いものかとぐるぐる思案していた。して、気がついたのである。

 

 

 

そうだ
青海、
行こう

 

 

 

そう、青海である。

青海には専用鉄道がある。ここの専用鉄道は本当に毎日のように動いているらしく、土日も動いているらしい。普通こういう専用鉄道は土日を避けて営業日っぽい日に見に行くべきものなのだが、動いているというのであれば土日のほうが一般社会人には都合が良い。いつか週末パスが余ったら行こうと数年前から目星を付けていたのだ。今日ほど都合の良いときもあるまい。

 

 

 

 

 

はくたかに乗り、糸魚川に来ていた。朝飯兼昼飯にと車内でこぼれイクラとろサーモン ハラス焼き弁当を食べていた。ちなみにまあまあする。ハラス焼きは美味かったし、味としてのバランスも良かったが価格が価格であり、筆者はケチなのでもう少し量かインパクトがほしいなとなってしまった。ハラス焼きが一番のウリであり、実際旨いのだが期待値を上げすぎていたのがいけなかった気がする。鮭の中で一番うまい部位はこの世で一番うまいものと同義ではないのだ。

冷静に考えると、実際問題筆者が好きな駅弁は期待値の低い駅弁が多い気がする。のり弁とか、とりめしとか。期待値が低いところで手堅く平均以上で纏めて来られると弱いのかもしれない。学びだ。気づき、学び、悟り。先人の遺した書にも、日々の生活にもそれはある。ユニちゃん先輩も確かにそう言っていた。日々の生活で学びを得ていきたい。

 

糸魚川まで来たが特に前後の移動手段を何も調べていなかったのでここで無が発生していた。一応13時ごろに一本走るらしい。12:50頃であり、タクシーを捕まえて頑張れば間に合わなくもないのかもしれない。参考にしたサイトは13:20頃来たってあったし、もしかしたらワンチャン間に合うかもしれない。然し筆者は金がなかった。当然である。先週は長崎に行き、先々週は北海道に行ってきたのだ。逆立ちしても小銭すら落ちようもないくらいには素寒貧であった。であるからして、部の悪い賭けに何千円と無為に投じるだけの余力はなかったのである。15時にも動くのでそれが見れれば十分であった。

15時に動くのでまあ時間がある。どれくらい時間があるかというと間に合う電車が出るまで45分くらい時間があった。微妙な時間だった。

 

街を徘徊した。

通りのあちこちに翡翠の原石が置かれており、凄みを見せつけている。街は中心部の一角が真新しくなっており、数年前の災禍の爪痕を感じさせられた。町中に酒屋を数軒見つけるも、この後もあるので戻って来てから覗くことにした。

 

駅に戻ると国鉄色の457が止まっていた。急行だろう。JRの頃は来れば乗れるレベルであり有り難みもあまりなかったのだが、出世したものだなあと思うところである。往時とは何もかもが変わってしまった。何よりあんなに跨線橋がゴツくなかった気がする。撮ってる時に「こんなに邪魔だったか?」と思わず思ってしまった。そして実際帰って昔の写真を見返して改修されていることを知るのである。然し冷静に考えれば跨線橋から自由通路に出世したのでそうもなりそうなものではある。あるにせよ、というところだ。何もかも時間が経てば変わっていくのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

隣駅なので初乗りだと思っていたものの、そこそこな運賃を払って青海駅に来ていた。荷役の施設もあり*1、12ftコンテナを積んだトラックが出ていく割には寂れた駅だった。2面4線あるのに1面は全く利用されておらず、草は生い茂り通路も封鎖されていた。駅舎は立派な70年代頃くらいの雰囲気のある橋上駅であり、船が何基も並んでいる辺りに栄えていた頃は本当に栄えていたんだろうな感がある。なんならステンレス製だったり柵で代用しない辺りにちょっとリッチさを出してきている。窓口側のあからさまなスペースは板ですべて埋められており、二度と駅員を配置しないという強い意志を感じさせた。待合室は人っ子一人いない割には潤沢なスペースと有り余るベンチを提供しており、そこそこの人数でも収容しきれそうだった。このあたりは工場も多いことから、昔はたいそう賑わっていたのだろう。栄枯盛衰。

 

工場から駅まで伸びる廃線跡を眺めつつ南に歩いた。この区間にバスがあるという事実は知っていた。それでもなお歩いたのは、ケチだからということもあるが何よりバスが無かったからである。無いものは使えない。歩いても30分。都会の人なら歩く距離だった。

途中から道は壁一枚隔てて工場の真隣を延々と進んでいく。ゴウンゴウンとでかい音を上げ、時々ピロピロと重症ではないタイプの警報音が鳴るあたりに今日も元気に操業していることが伺えた。

ちなみに、筆者の地元は工業地帯であった。であるからしてこういう光景も山こそ無いがまあ馴染みが無くもないものであった。だからこそなんとなくわかっていたのである。建物もデカければ敷地もでかいので、目に見える距離は思っているものより大抵遠いのだ。更にかなりの確率で自販機もなければ休める公園っぽいところもない。運の悪いことに筆者は工場を横に見ている最中、腸が不調を訴えてきていた。残念だ。この先にはほぼ間違いなくトイレはない。工場の中にはトイレがあるかもしれないが、幾らトイレとは言えカメラを持った不審者を構内に入れるほど牧歌的な時代ではあるまい。実際問題ヒリついた看板が幾らか壁に貼ってある。一先ず耐えられるだけ耐えることにした。

 

 

 

いくら石灰石とはいえ、鉱業というものがほぼ死んでいる現代でもなお国内で一定程度の規模で操業しているというのは喜ばしいものがある。

ここで、鉱山から工場まで鉱石を運ぶために今日まで専用鉄道が活用されているということであった。大抵の場合、自社完結の専用鉄道は見づらいものなのだが、ここは運良く公道が真横を通っているので拝めるということらしい。

 

公道の脇に立ち、列車が来るのを待った。電車がなかったこともあり、余裕を持って着いたので、ネットで見た時刻まで一時間くらいあった。専用鉄道に限らず、JRの絡まない貨物鉄道はダイヤがあっても早発しがちなので用心しておくに越したことはない。Twitterでエモイラストを眺めながら、カメラを下ろして工場を見て過ごした。土曜日なのにせわしなくトラックが行き来していた。ホッパある側の工場も動いているっぽいことは見て取れた。動いているから列車が動くとは必ずしも限らないが、動いていない時は動きようはないので指標にならないことはない。公道は大型トラックが走れば離合は難しいくらいの幅で、車で来て止めて待とうものなら多分文句の一つは言われると思う。山間なので止めるところも探し辛そうなので、特に抵抗がなければ公共交通で来ておくのが安牌だと思う。

 

 

30分くらい律儀に待っていると、踏切の音が聞こえてきた。

 

かなり久方振りに興奮しながら写真を撮っていた。見えなくなるまでとにかく構図は二の次くらいでシャッターを切りまくっていた。

 

 

 

 

 

 

とかく最高だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、忘れてはいけない。

 

ここに来る前に筆者はなんと書いていただろうか。

 

そう、腸が超不調なのだ。

 

依然として腸は不調を訴えていた。訴えたところで出すまで変わることはないのだが、そんなことを言ったところで腸には腸の理屈があろう、全く話は通じない。撮影地からほど近いところにバス停はあり、一時間待てばバスが来るのだが、流石に一時間待っていては漏れそうだったので下山した。

ちなみに、この時間帯は変に電車を使うよりもこのバスに乗ったほうが早かったりする。

 

やや早足で工場の脇を通り抜けて市街地っぽいところまで出てきた。公園らしきものは特に無い。公衆トイレもあまり期待できなかったので、駅まで歩き切った。撮影地でパラパラと振り始めた雨は、駅に着く頃には小雨ながらも鬱陶しいくらいの降り方になっていた。

駅の工場側には何もないので、日本海側の方に跨線橋をまたいで抜けた。この頃すでに腸は大分限界になっていた。日本海側には駅舎の脇に公衆トイレが生えていた。想定どおりであった。ここで排便すれば暫く安泰とみられた。トイレの個室に入る。箱ティッシュが目に入った。瞬間、とても嫌な予感がした。予感は実際のところ現実のものであった。紙がないのだ。

個室は2つあった。

隣の個室も確認した。

やっぱりだった。

 

ここでトイレ難民になったのである。

 

 

筆者は鼻炎である。

であるからして、ティッシュは持ち歩いていた。

なので一応排便できないことはなかった。

然し現代のトイレ事情を鑑みた時、プリセットの紙が用意されていないトイレではそれ以上のトラップがある可能性も十分考えられた。幸い近傍に市立図書館があるらしい。土日も営業しているだろうから、そこでトイレを借りればよいだろう。

歩くこと5分、なんとか腸が出力臨界点に達する前にきらら青海にたどり着いた。大型のバスが2台居てなんか高齢者向けのイベントをやっており、非常に入りづらかったのだが入った。限界だったからだ。窓口で聞いたら特に何も言われなかったので問題なかろう。

こちらは普通に紙が常備されていた。

こうして尊厳は保たれたのであった。

ありがとう糸魚川市

 

 

排便を済ませているとバスの時刻まであと10分くらいになっていた。一応このあたりにもバス停はあるらしい。なぜならきらら青海入口なる停留場があるためだ。きらら青海の前に停留場があったので確認してみたが、こちらは入口と付いておらず、実際乗ろうとしているバスの時刻は掲載されていなかった。なので全然別のところにあるのだろう。

経路的には国道か旧道の何れかを通るものと思われたが、そのどちらかまでは直線的な概念図からは判別出来なかった。バスが使いづらいのホンマこういうとこやぞ。勘で国道側に当たりを付けてとにかく糸魚川方面に歩いた。こういう勘でバス停を探す時は、バスで向かう方に向かって探したほうが悲しいことに若干なりにくくなるのでおすすめである。まあ気休めレベルではあるのだが。対向車線にはバス停が見えたのでおそらくこちらにもあるのだろうと予想をするも、循環系統のみの可能性を排除できずに不安になりながらも進んでいった。300mほど進みセブンイレブンが見えてきた頃、バスベイが目に入った。バス停だった。乗りたいバスの時刻も記載されていた。

然し乗るのに苦労する乗り物なんざ誰が好き好んで使うんだか。

 

 

バスに乗ることで一本早いはくたかに乗ることが出来るようになる。なるが、接続は微妙なので街を徘徊した。目星を付けていた酒屋に入り、地の酒蔵が出している糸魚川限定流通の酒を買った。一旦特急券を長野まで買い、一旦降りた。急ぐ旅でもないので、駅弁や土産を買いつつゆっくりしてあさまで帰ろうという魂胆だった。ちなみに目星を付けていた駅弁は無かった。というか駅弁がほぼ枯れ果てていた。時間も時間だったので、まあ想定内ではある。想定外だったのはあさまが思った以上に少なかったことくらいだろうか。

 

一時間半くらい長野を徘徊し、適当なツマミと2合の酒を買ってあさまに乗り込んだ。あさまははくたかよりは流石に空いており、所要時間を除けば快適だった。E7はコンセントも付いているのも強い。デイリークエストやエモイラストの収集など、家でやってしまいがちなものの実はどこでも出来ることをこなしつつ帰った。

*1:ちなみに調べたらORSだった