旭駅本屋

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徘徊

最近記事を書いていない気がする。いや実際のところ月一ペースでは書いているっぽいのでそこまで書いていないわけではないが、書いていない感があるということはまあ、書いていないのかもしれない。長くダラダラとした記事を書くことが無いからそう思うのかもしれない。長くダラダラとした記事は一般的に長くダラダラとした旅行を書くから生成できるのであって、長くダラダラとした旅行をしていない手前かけないのであった。都市部を毎週末徘徊し足の筋肉を鍛える活動には励んでいるがそれはそれ。元々足の筋肉を鍛える活動も兼業では体力的に専業に勝てないので、面白い何かを生み出すにはまず体力からと始めたものであった。始めたはいいが、面白い何かを生み出すでもなく徘徊だけしていては何も面白くはない。ここはひとつ、週末徘徊ついでに赴いた場所でも紹介したいと思う。

すみだ郷土文化資料館というところに行ってきた。行ってきた理由は単純で、GoogleMapで見つけたからである。ただそれだけだ。郷土の博物館というのは難しいものがある。模範解答というものも難しかろう。地元が何であり、どういうものであるのかというのは存外答えにくい。筆者も横浜みなと博物館は記憶にまあまあ残っているが市立博物館はあんまり、といったところだ。行ったのも大分昔に一回というのもより拍車をかけているのかもしれない。然しそれはそれとして、色々この手合いの博物館に行ってはいるものの市営くらいとなると大抵どこもかしこも似たようなものに収束していくようにも思えてくる。そう思い、期待せずに向かったのだ。

すみだ郷土文化資料館は筆者の思っている市町村営の博物館とは大分違った。まず入館料が100円掛かる。無料が多いのでこれは意外ではあったが安いので普通に払って入る。入ると展示がある。墨田区とは何か。どう墨田区は"記録"されてきたのか。記録というものが展示されることは意外と少ないように思う。たいていは紙物であり、案外物理的にもたないし、展示も見栄えさせづらい。しかしここはそんな紙物をめっちゃ展示していた。当館蔵とある江戸期の写本がまあまあ展示されていた。これは結構すごいことだと個人的には思ってる。収蔵庫にはあるところもあるのかもしれんが、見えるところにこれだけ出してくるのは凄い。無駄に凄みを感じていた。

ひとしきり凄みを浴び、2階に上がった。常設展という感じでもないっぽく、企画展らしきものが展示されていた。もちろん多くは紙物である。凄くない?筆者は凄いと思っていた。江戸期のペーパークラフトめいたものや、寺子屋の教科書なんかが普通に展示されているのだ。実物に拘るというのはどこの博物館でもまあまあやっているとは思うが、紙が多用されるのは比較的近年の話なのであまり展示に出てくることは少ないようにも思える。美術品みたいなのは別として。こういう、ありふれた写本みたいなものはあまりちゃんと見せてくれないような気もしないでもない。こういったのをちゃんと保管して見せてくれるというところに、この博物館のある種博物館に対する姿勢みたいなのがあるようにも思えた。なんなら戦中の紙芝居などもあったし。ここまで紙物をちゃんと保管している郷土資料館みたいなのってあんまり無いんじゃないかとも思えてくる。

戦時中の東京大空襲のコーナーなんかもあった。記録は今まで多くの人々によって行われてきたが、多くは著名人によるもの。市民の目線で見た空襲を、今生きている人の思い出をそのまま描いてもらうことで残していきたい、みたいなコーナーだったと思う。違ってたら申し訳ない。ここにも筆者は郷土史の研究に対する真摯な姿勢をくみ取らずにはいられなかった。予算もそうだが、何より時間と人員が居ないと出来ないものだろうし中々できるものではないと思う。

3階は特別展だった。昔の墨田のくらしみたいなものだったと思う。ここにも紙物が展示されていた。尋常小学校の教科書だったと思うが。勿論ほかの普通の博物館でも割と見せてくれるものも展示されている。+αみたいなものだ。

良い博物館だった。

帰り際階段に張ってあるポスターをよく見ていたのだが、基本他所の博物館のポスターで所狭しと並んでいる辺りに本当に博物館が好きな学芸員がまあまあ居そうなのかもしれないなと思った。実際居るのだろう。スペースこそ狭いが、楽しい博物館だった。