旭駅本屋

SNSが普及しきった今日において、人々はなぜブログを使うのであろうか。

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雷都を未来へ

久方ぶりにブログを書くかとキーボードと対峙し、先週末のことを思い出す。
宇都宮に行き、電車に乗り、帰った。それだけであった。餃子は駅に戻ったころにはほぼほぼ店じまいに近い時間であり、おまけに混んでいてあまり良い具合でもなく、百貨店も東武は閉まっていて福田屋に行くにも若干遠い上に帰りのことを考えるとそこまでして行くような気力もなかった。観光たる観光をできるほど早くに向かったわけでもなく、ただ電車に乗り、スーパーで適当な肴とビールを買い、適当に帰っただけでしかなかったのだ。思い返してこれは面白い話にならなさそうだという確信めいた予感がムンムンと立ち込めてくる。然しこれは主に土曜の動向をそっくりそのまま書こうとするから面白くなくなるのだろう。宇都宮というのは別に先日初めて訪問した土地でもない。長らく半ば旅行記ばかり上げてきたが、別にレギュレーションを設けてやっているわけではない。やりやすく、適度に飽きないくらいに長続きしそうなくらいの記事ばかり書いてきたらこうなっていたというまでの話である。然るにここはひとつ随筆めいた記事でもこさえて更新間隔の嵩上げを図っていくのも良いかもしれない。老害老害らしく、昔話の自分語りでもしようじゃないか。

 

宇都宮に初めて行った日のことはまるで覚えておらず、フォルダを漁ってどうにもこれが最古らしいという写真を見てやっと2010年に行っていたという事実に直面するのである。然し写真を見ている限りではただ行ったことしかわからなかった。そういうものかもしれない。どちらかと言えば翌年の冬に烏山線日光線に乗りに行ったついでに今は無き東口の平屋のみんみんで昼飯を食った方が余程記憶に残っている。

 

今は無きオールロングのキハ40に揺られ、烏山と宇都宮を単振動した日のことだ。キハ40に気動車一般色は似合わんだろうと思っていたのも今や昔、電車に置き換わってからというものの烏山線に乗った記憶はまるでない。乗るのが理由だから乗ったまでの話であって、用がない土地には中々足が向かぬというものなのやもしれない。

あの頃は東口には広くて広い空き地めいた区画があり、そこに空いていたからと言わんばかりの雑さで餃子屋が幾つか置かれていた。勿体ない土地の使い方だなぁと当時は思っていたが、どうにも再開発するまでの間借りであったようだ。今は同じ場所に立派な複合ビルが建っている。

 

 

 

さて、ある栃木県民は栃木県の魅力について問われてこう答えたらしい。「ないんだな、それが」と。県都たる宇都宮の最も栄えている商店街であろうオリオン通りで行われたインタビューとされているが、それでもそれである。して、読者諸兄の皆様は宇都宮市の観光地を問われて何が浮かぶだろうか。確かに「ないんだな、それは」という名言が生まれた土地も宇都宮であるが模範的な観光地とも言い難いだろう。矢張り宇都宮に行ったからには行っておきたい場所と言えば、ここだ。

 

そう、宇都宮タワーである。

89mとお世辞にも大きくはないが、見た目はしっかりタワーしているし山の上にあるので市内ではまあまあ目立つ建物である。駅から福田屋の方に歩いていくと途中左手に見える存在感のある奴がこれだ。ちなみに展望台の高さは栃木県庁舎と大体同じくらいだったりする。栃木県庁舎には展望ロビーもあり、こちらは無料開放されているため費用対効果でいうとどちらが良いかという話はここでは特にしないことにする。尤も閉庁日は当然開いていないので、一般旅行者にはまるで関係のない話ではあるが。

 

宇都宮タワーはさておき宅として訪れておきたいのは駅東公園のEF57である。宇都宮タワーはさておきコイツはライトレールのおかげで少しばかり行きやすくなったらしい。歩いて行ける距離なので歩くで良いとは思うが。

訪れたのはどちらも2012年の話である。当時はライトレールもなければカネもない。そろそろ暑くなり始めの梅雨時に、何の理由か宇都宮に来た筆者は何も考えずに東武の駅に歩いて向かい、餃子をしばき、そのまま宇都宮タワーまで歩き、駅東公園まで歩いて帰って記憶がある。思えばまともに宇都宮を観光したのはこの日くらいだったかもしれない。

 

用のない土地に来ることはそうそうない。とはいえ筆者は別に浮遊層ではない。解脱もしていなければその強力なステータスに胡坐をかいて浮遊することもない。地に足の着いた鉄道で西へ東へ向かうのが殆どだ。そうなると行きがけや帰りがけに未回収の観光地を訪れんと途中駅で降りることもままあるというものである。実際運賃は高く、特急券はいうてもそこまで高くもないのだ。何度も切符と料金券を買うくらいなら降りてついでに回収した方が安上がりなのではないかと最近思う。

あれは今から2年ほど前の話だったと思う。18切符が一日分あったので適当に使おうと日帰りで郡山まで行った日のことだった。18切符で元を取るための攻略法は二つある。一つは当然乗りつづけることだ。そしてもう一つは降りることである。運賃は高い。毎度毎度普通乗車券を買っていては結構な金額になってしまう。これを避けるにはできる限り目的地を重複せぬよう配置して一枚の切符で訪れる箇所を増やすことで極力回避ができるのだが、フリー切符であれば何も考える必要はない。

18切符が真価を発揮する時というのは、新幹線がもう敷設されてる大幹線で途中下車しつつどこかへ向かう時か、普通列車しかないローカル線でどこかへ向かう時かの二つだと勝手に思っている。特急の走る幹線の普通列車は遅く、本数も比較的少なめなので、あまり旨味はないと勝手に思っている*1。だもんで、東海道線東北線なんかで、途中で降りつつ適当に観光しつつ行けるところまで行って新幹線で帰るというのは、実のところ結構いい具合に18券が役立つのだ。

この時は白河駅を見てみたいというただそれだけの理由だったと思うが、途中に地場系百貨店があるというので、ついでだからと宇都宮で降りたのだった。

 

街は変わる。興味のあるものももしかしたら変わっていくかもしれない。行ったことのある街の興味があるものが、興味を持ったタイミングにもあり続けてくれるかはまた別の話なのかもしれない。福田屋は百貨店とショッピングモールの間の子みたいな雰囲気であった。どちらともつかない造りは初めてであったので、その規模間と相まって驚いていた。床面積は地方百貨店としては結構大きめであり、まあまあにぎわっていた(当社比)のも興味深いポイントであった。ちなみに百貨店協会非加盟なので過激派からすれば百貨店ではないものと思われる。

福田屋に行っただけで用は終わってしまったので、この日はこの後そのまま北へと東北線を進んでいったと思う。

 

 

「時間というものほど、その価値が簡単に忘れられるものはありません」で始まるタカネさんのセリフを思い出していた。いつだってブルーアーカイブは偉大だ。人生で大切なことを思い出させてくれる。いつからかイベントストーリーのメッセージ性のパンチが強力になってきたような気がする。キャラを動かしたいように動かしているんだろうがそのキャラが言いそうな感じで進めていっているのは中々できる技ではない。

閑話休題

何十年も前からずっと計画があった宇都宮の"新交通システム”であるが、ここ10年ほどはライトレールに絞って計画を進めてきていた。ライトレールは富山港線の華々しい成功のおかげで全国的に脚光を浴びているが、今のところ新たに敷設し実際に開業出来たのはここ宇都宮くらいだ。宇都宮にライトレールが作れたのは、新交通システムという中軽量の鉄軌道交通を長年模索していたことも矢張り大きいのではなかろうか。そして、そういう計画が出てくるほどには、この街の交通は長らく根本的な問題を抱えてきたのだろう。ライトレールに乗り鬼怒川を渡る際に、ここを道路にした方が住民は喜ぶのではないかとも思った。しかしこの幅ではせいぜい上下一車線ずつの道路が引ければよい方だろう。そんなものを作ったところで朝夕のラッシュでは簡単に詰まってしまうだろう。それだったらその予算で150人乗りの電車が通れる街路を整備した方が効率は良い。そういう細かい思惑を集めに集めて長年調整に調整を重ねて各方面纏まってやっとこの路線は出来上がったのかもしれない。そう思うと、ライトレールが敷設される次の都市というものは中々無さそうな気もしてくる。それはそれとして、次の街がどこか出てきてくれることを願わずにはいられないのもまた事実である。計画がほぼ固まった10年前でさえ、この街に軌道が出来るとはにわかに信じられなかったのだから。

*1:中央東線は特に酷い